名古屋名所団扇絵(十二景)《その7》: 柳薬師夜開帳 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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名古屋名所団扇絵(十二景)シリーズ《その7》
今回は柳薬師夜開帳

 

柳薬師は俗称で、寺号は新福院・・・明治7年に取り壊される。

柳薬師と呼ばれていたかについては二説あり

①柳の木で彫った薬師如来が安置してあるので。

②柳の名木が繁茂している寺なので。

 

・柳薬師は、毎年5月19日頃より7月7日まで開帳した。
・この開帳は4年近くも藩に願い出て明和年間(1764~1772)にやっと許可された。

 

享和二年(1802)「南総里見八犬伝」の作者、滝沢馬琴が物見遊山で名古屋を訪れ、広小路についての記述より。

(要旨)

・夏の暑い日、人々が涼みに出かける場所は、広小路の柳薬師の前である。

・柳薬師の前には茶屋がある。

・見世物小屋がある。

・芝居小屋がかけられていて、たいそう賑わっている。

・柳薬師の前より眺める広小路の景色は、江戸両国も薬研堀とよく似ている。

・広小路は納涼の人々でたいそう繁盛している場所である。

 

柳薬師夜開帳の団扇絵

・夜、開帳はたいへんな繁盛。

・寺の前にかかっている溝川の木橋を渡り、開帳を見にゆく大勢の人の姿を描く。

・柳の枝ごしに満月が見える。

・夜ともなると、どこかからともなく涼みに人々がくりだす。

・その中心が柳薬師の前であった。


↓拡大


  
  

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赤矢印が「柳薬師」


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↓尾張名所図会より


 ↓ 現在「柳薬師」のあった場所に『長円寺』が建つ


(追記)

2016年2月4日にタイトル

長円寺の境内にある名古屋教育委員会設置の名勝標札…「柳薬師」について


 

(13,406歩)