明治39年5月印刷・発行の
覚王山記念塔…略称;征清記念碑
・正しくは日清戦役第一軍戦死者記念碑という。
・明治27年~28年(1894~5)の日清戦争に名古屋の第三師団から出征した将兵726名を悼
んで設置された砲弾型の碑である。
・計画当初は広小路通りの東端であったが、竣工時には既に道路も電車も千種まで延長さ
れていた。
・道路中央に取り残された記念碑は、大正9年(1920)12月、東郊の覚王山へ移転した。
◎第三師団について
・名古屋方面出身者から構成される師団で、その前身は1873年(明治6年)1月に設置された
名古屋鎮台。
★鎮台とは部隊単位のこと。
・1888年(明治21年)全国に6つあった鎮台が師団へ改編される中、第3師団と名前を変えた。
・200個を数える陸軍師団でも最も古い師団の一つである
・1945年(昭和20年)に廃止
◎笹島停車場について
・続いて熱田~清洲間が開通し、現在の笹島に名護屋停車場が開業した。
↓ 名護屋停車場…ネットより
(16,525歩)