「吉田禄在宅址」と「武平通り」に注目…中区役所設置案内板 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、中区役所の敷地内、東側で下記の標札を見つける。

(付記)

名古屋近代化の功労者である吉田禄在の邸宅が建っていたことを示す案内板です。
現地から見た約100年前(大正4年)の吉田録在邸宅の写真を掲載した歴史銘板。

           記


「吉田禄在」「武平通り」に注目しながらデジカメ…。

 

「吉田禄在」について

 

★私「洋ちゃん」、

 ・郷土史に関心があります。

 ・吉田禄在が名古屋市近代化のためにつくした職責の多くを知っています。
 ・今日の名古屋発展の基礎を築かれた偉大な功労者です。

名古屋を築いた三偉人の一人だと私は思っています。

  (三人とは~徳川家康、吉田禄在、田淵寿郎)
(付記)

田淵寿郎について

戦後の名古屋市の都市計画を手掛ける。

例)100m道路、名古屋港湾整備など

 

「武平通り」について…ネットより

 

南武平町は、

・名古屋市中区にあった地名現在の栄四丁目・栄五丁目の各一部に相当。

・武平町という町名は清洲越しの際、

 普請奉行松井武兵衛が屋敷を構えたことから武兵衛町(のち武平町)と称したものである。




 

(追記)

2017年3月6日に

タイトル東区旧:武平町…(現在 東区泉及び東桜一丁目)の町名の由来

としてブログした内容を下記にコピー。

          記

「武平町」の町名の由来について。

・藩祖義直の家来に松井武兵衛という御普請奉行がいた。

・禄高400石、清洲から遷府の際、城の南に居を構え、城下町の設計に当り、町割り・屋敷

 割りの検地を行って、碁盤目の区画をつくりあげた功労者である。

・その功をたたえてその住居付近を武兵衛と呼んだが、のち兵衛を短くして平と書くように

 なった。

・明治44年(1911)南武平町1・2丁目を当町に併せ、武平町4・5丁目とした。


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(21,902歩)

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2020-03-11にデジカメ