塩付街道(名古屋市)…温故知新「街道観光の魅力」を訪ねる | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」

瑞穂区の某史跡を訪ねる会に所属させて頂いています。

先日、

会の仲間の方から朝日新聞(2015年5月19日付け)の下記の記事を提示されました。

塩付街道の瑞穂区の見どころを中心とした記事です。

 

早速、記事に記されている史跡をデジカメしてきました。

            記


1.名残の二本松(新聞記事写真の左上)…瑞穂区汐路町2丁目

 ※古い大きな二本の松の下に細い道筋の町並、塩付街道のなごりをしのぶ
  

            赤矢印が塩付街道の筋

2.東栄八幡社(新聞記事写真の左中)…瑞穂区東栄町5丁目

 ※うっそうとした木立に囲まれています。

 ・祭神は応神天皇(第15代天皇…200年?~310年?)

 ・「尾張旬行記」に、

  熱田社家・粟田宮部太夫支配とあり、当時は一反十二歩あったと記載。

 ・毎年1月に五色弁財天祭がある。

 

3.馬頭観音(新聞記事写真の左下)…瑞穂区東栄町5丁目

 ※塩付街道を通る人々や馬の安全を願った。

  当時の人々の面影がしのばれます。
  
    

    浄土真宗東栄寺の門前にある馬頭観音

4.石仏白山社(新聞記事写真の右)…昭和区石仏町1丁目

※塩付街道沿いにあり。ちかくには古い家並みが残る。

・明治になって隣の善昌寺から分離された。

・社宝として、近くの「古観音廃寺跡」から出土した市の指定文化財の鬼瓦が

 保存されている。
 
 
  
石仏白山社東側の塩付街道の筋

5.善昌寺(新聞記事に記されている寺)…昭和区石仏町1丁目

・「尾張志」によると、江戸時代の初め、慶長13年(1608)、服部善昌の

 子が出家して建立したという。
・寺内の観音堂には秘仏の石像の千手観音と円空作の薬師如来像があり、

 堂前には、「石仏」(いしぼとけ)の地名のもとになった地蔵尊がある。

・山門脇には 三十三観音などもある。
・明治5年区内最初の学校、松栄学校(現在の広路小)が境内に設立された。

 

追記)

塩付街道について

・江戸時代の初め頃は、笠寺台地(古くは島になっていた)の西から南

 にかけて塩浜が広がっていた。

・そこで製造された塩は「前浜塩」というブランドがつけられ、

 御器所台地を経て北へ向かい、塩を運ぶ馬の行き交う塩の道であった。

・南区戸部町から東区古出来町までの街道を「塩付街道」と呼ばれていた。

 (塩付街道の名は、塩を馬の背に乗せ、山地の国々は運ぶうちに自然発生的に命名された)

・途中、飯田街道を通って信州へ、

 古出来町からは山口街道、瀬戸街道、善光寺街道などを通って尾張、美濃、信州へと運ばた。

・しかし、江戸時代中期を過ぎると瀬戸内海からの安くて白い塩に押され、後期には衰退した。