戦国時代の城(尾張を中心に) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今日(23日)名古屋市にある某教育センター主催の講座で、

「戦国の城を中心とした」講演を聴取してきました。

講師は某大学准教授の女性の先生です。

※ブログするにあたり、ご迷惑をおかけするといけないので「某」とさせて頂きまました。


「洋ちゃん」のひとりごと

『古城』に最近関心を持ち始めた私「洋ちゃん」です。

すごく勉強になる素晴らしい講演で楽しく聴取してきました。

 

講師の先生は、

近日に「戦国大名の城下町(仮)」の著書を出版されるそうです。

ご迷惑をおかけしてはいけませんので要旨のみのブログです。

「洋ちゃん」のひとりごと

 

Ⅰ 戦国の城と近世

中世時代とは…前期封建社会

 戦国時代。

1467年(応仁1)の応仁の乱の開始から織田信長が全国統一に乗り出すまでのほぼ1世紀間をさす時代。

近世時代とは…後期封建社会

 安土桃山時代~江戸時代

 

Ⅱ 16世紀末期~17世紀前期

(つまり)中世から近世の時代には全国各地で大規模な城下町が建設され戦国時代の城は廃城になる。

 

Ⅲ 戦国時代のお城について

 多くの軍事要塞・城跡があり、多くは在地武士の居館であった。

 在地武士達は居館を守るため織田方・今川方・武田方等に付く。

 ⇒お城の集合廃城へ

 

Ⅳ 近世のお城は、

 一藩に原則一城「一国一城令」

(例外)尾張の城…名古屋城(藩主)と犬山城(付家老…成瀬のお城)


Ⅴ 「西尾張」(濃尾平野)の戦国の城域について

 小さな河川がいっぱい…当時は自然堤防帯

 ・河川交通による交易物の輸送

 ・鎌倉街道が縦断(後の美濃街道筋)


Ⅵ 「東の尾張の戦国の城域について

 丘陵や山地の城

 ・水利の把握に適している

  …谷の農業・交通・商業支配に適したばしょに立地。

   長久手城、岩昨城、上条城等


Ⅶ 戦国の城から近世にかけて城郭数激減

 →特定の城下町に人口・都市機能が集中。

 天正10年(1582年)本能寺の変後、織田信雄(信長の次男)が尾張を相続する。

 領国の中心を清須として近辺の在地の城と地域を支城として統括し始める