先日、
稲沢市平和町にあります勝幡城跡を訪ねました。
(実は、中日新聞に勝幡城の記事を見て急に訪ねたくなりました)
勝幡城は、
・永正の頃(1504~1520年)・・・室町後期の頃に、織田の信長の祖父‘織田信定”が築城。
・織田信定の息子‘信秀”つまり信長の父は武勇の誉れ高く、今川氏豊の那古野城を攻めて奪取。
・更に‘信秀”は末森城、古渡城を築きました。
・織田氏が信秀から信長へと移り変わりの時に、勝幡城も廃城になる。
☆‘信秀”は、那古野城に居た今川氏豊を攻撃、氏豊をお追い出し
居城を那古野城に移したのと、信長が清州を本拠にしたため、勝幡城は廃城になった。
近年、「織田信長」は、この勝幡城で誕生し、幼児に那古野城に移ったとされている。
(従来は、那古野城誕生説が有力であった)
現況は、
・現在城址の地には城址碑があるのみで、区画整理の関係でお城の遺構はなし。
・お城のすぐ横にながれる、
三宅川に架かる嫁振橋、欄干に復元図があり、堀に囲まれたお城ということが分かります。
洋ちゃんのひとりごとです
・古城の現地を訪ね、そのお城の風土等を実際にみますと、
当時の状況が机上では想像できない事がらが多く理解でき楽しいです・・・。
左)
上の勝幡城址の碑の後ろに設置の看板です。
勝幡城址のすぐ西を流れる三宅川に架かる‘嫁振橋”欄干にある勝幡城の復元図です。
勝幡城址から南へ堤防沿いにありました。(この碑を捜すのが大変でした)
10月10日の中日新聞・朝刊をスキャン。