文化のみち | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日、

高年大学のクラスで東区の「文化のみち」について話しました。

その要旨です。

 

「文化のみち」のエリアについてです。

名古屋城から徳川園に至る南北1.5km、東西3.5kmほどの一帯の場所。

この地には、景観重要建造物として指定されている物件(建物)が多くあります。

 

そして、平成11年にこの地域で行われたウォークラリーで

「文化のみち」の名称が始めて使用されて、

以後、このあたりを「文化のみち」と呼ばれています。
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「文化のみち」のルーツについてです。

お城の南に広がる商業地域(碁盤割地区)に対し

 東の台地上に伸びた武家屋敷地区が「文化のみち」のルーツです。

 

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‘文化のみち”のエリア内の「白壁・主税・撞木地区」については、

昭和60年に名古屋市から街並み保存地区に指定されています。

 

参考ですが、名古屋市街並み保存地区は 

「有松」「白壁・主税・撞木」「四間道」「中小田井」の4地区です。

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「文化のみち」の中心地区の

「白壁・主税・橦木町地区」の町を紹介させて頂きます。

この地区は、今でも武家屋敷の面影がどことなく残っています。

 

名古屋城下では一般に、

南北の道を「通り」東西の道を「筋」と呼ばれていました。

 

1.白壁町筋(北側の筋)

清州越のとき、豊田という武士がこの地に屋敷をかまえ、塀を白壁としました。

その後、武家屋敷の白壁の塀が建ち並んで白壁町の名称が生まれたそうです。

しかし、現在は黒塗り等の壁の方が多い感じがします。
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2.主税町筋(真中の筋)

清須越のとき、始めて住んだ人の名前が、

野呂瀬主税だったところから名前がつ けられそうです。
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3.橦木町(南側の筋)

東西の通りが西を区切られたT字型が撞木(鐘を打つT字型の棒)に似ていたので

撞木町(後に撞から橦にかわる)の名前が生まれたそうです。
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3.江戸時代の文化遺産(江戸時代の尾張文化)

「文化のみち」には、大名文化の華といえる

名古屋城・徳川園・建中寺等に江戸時代の多くの文化遺産が残されている。

それらの一部を羅列しました。
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4.明治時代以降の近代名古屋文化

明治政府の政策により、武家屋敷の広い跡地を、

安値で入手した技術者達が機械製造の草創の地とした。
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5.学校教育スタートの地

明治30年代、東区に次々と学校が開校し、 

「文化のみち」地区は学校スタートの地となりました。
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6.大正ロマンの屋敷町  パイオニアの屋敷町

かっての武家屋敷は、大正ロマンの屋敷町に姿を変える。

洋風の建築物の融合化。
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7.近代のオフィスや学校  帝冠様式建造物など

昭和に入ると、

オフィスや学校を中心に鉄筋コンクリート造の建物が相次いで登場。

(帝冠様式は、昭和初期の日本で流行した、鉄筋コンクリート造りの現代建築に

和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式…県庁、市役所等)
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(参考)

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