江戸時代中・後期の俳人で
「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と言われた、
井上士朗の俳句‘どこでやら 鶯なきぬ 昼の月”です。
士朗の著名な句で書物・展覧会等で度々取り上げられています。
古い作品のため黄ばみ老朽化していますが私の大切な収集品です。
士朗の句は分かり易くユーモアもあり大好きです。
枇杷園句集
巻之一 春 鶯
に記載されている句です。
井上士朗の略歴
寛保2 (1742) ~文化9.5.16 (1812.5.16)
江戸中・後期の俳人。初号支朗。別号,枇杷園,朱樹叟。
尾張(愛知県)守山の人。
名古屋新町の町医井上家の養子となり,3代目を継ぐ。
俳諧を加藤暁台,国学を本居宣長,絵画を勝野范古,
平曲を荻野検校に学び,医者としても城下一の評判があった。
俳諧では,「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と俗謡にうたわれ,
夏目成美,鈴木道彦と共に寛政三大家のひとりとして重んじられた。
『枇杷園七部集』(1~5編)に収められる。