「古渡城跡碑」と「住田智見講師句碑」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(10日)、

名古屋市中生涯学習センターの講座で

東別院(真宗大谷派名古屋別院)の境内にある

「古渡城跡碑」「住田智見講師句碑」について講義を受けました。

 

古渡城跡碑

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東別院の境内地は、

織田信長の父信秀が天文3年(1534年)に

築城した古渡城の旧跡地である。 

信長自身もこの地で天文15年(1546年)に

元服の式を挙げたと伝えられている。


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天文3年(1534)那古野城を今川氏豊から奪った織田信秀が東南方に備えるために築城した。

那古野城は、幼名・吉法師と呼ばれた頃の信秀の子・信長に譲った。  

天文16年、信秀は美濃の斉藤道三を攻めたが敗走して古渡城へ戻った。

ところが、

道三が勝ちに乗じて信秀の領地である大垣城を攻めたため、信秀は再び出陣した。

この最中、

織田宗家の老臣・坂井大膳・甚助らが清洲衆を攻め町を焼き払った。

帰城した信秀と清洲衆とが険悪になったが、平手政秀が仲介役を務めた。

また

道三と信秀の和睦に際して、道三の娘・濃姫を信長の嫁としたのも平手政秀の功績だった。

天文17年、信秀は末森城を築いて移り、信長は那古野城から清洲城へ移ったため、

古渡城は廃城となる。

 

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住田智見講師句碑
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 白毫の 光尊し 夜半の秋 

          閑凡夫


 住田智見(1868~1938)

尾張真宗専門学校(現・同朋大学/名古屋市中村区)を創設した。

1967(昭和42)年7月、師の生誕百年を記念して建立された。

 (「閑凡夫」は住田師の雅号)


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住田智見

真宗大谷派の僧・仏教学者。愛知県生。

尾張祐誓寺の住田恵見の子。

諱は智見、幼名は徳丸、号は古灰・閑凡夫。

真宗大学研究科卒。

細川千巌に師事した。

真宗学・異義者研究に専念し尾張真宗専門学校(同朋大学)を創設、のち大谷大学学長となる。

著に『浄土源流章』『異義史之研究』等。

昭和13年(1938)寂、71才。