名古屋のまちづくりは、
1610年(慶長15年)の
名古屋城築城と清須からの町ぐるみの移転(いわゆる清須越)に始まります。
(1610年(慶長15年)名古屋城の築城が開始する)
今年、
2010年(平成22年)は城下町名古屋が誕生して「開府400 年」となる節目の年です。
名古屋市では
「市民が主役」となる名古屋開府400年祭の記念行事の催しが計画されています。
先日、
名古屋開府400年祭の記念行事の催しの一環の講演、
名古屋城築城以前の‘尾張”の移り変わりについてを聴取してきました。
(その要旨をまとめました)
尾張国の中心地は稲沢から清須、さらに名古屋と南下。
現代の名古屋の基礎は徳川家康による名古屋城に始まる。
(1)奈良時代以降の尾張の「首都」
当時、律令制のもとで諸国に国府(政庁)がおかれる。
尾張では現在の稲沢市とされる。
裸祭で有名な「国府宮」(尾張大国霊神社)が尾張の総社とされ最上位に位置付けられる。
ちなみに、
尾張では一の宮が一宮市の真清田神社、
二の宮が犬山市の大県神社、
三の宮が名古屋市の熱田神宮。
(2)室町時代の尾張の「首都」
当時の守護斯波氏の守護代として入国した織田氏は下津(稲沢市)に城を築いて尾張の支配に乗り出す。
後に
岩倉(織田本家、伊勢守系)
と
清須(織田分家、大和守系)とに分かれる。
しばらく対立するも清須が優勢で、やがて信秀・信長親子によって統一され、清須が尾張の中心地となる。
(3)関ヶ原の戦い(1600年)以後
徳川家康は清須城主だった福島正則を広島の城主とする。
1601年、家康の四男、松平忠吉を清須城主にすえる。
1607年、松平忠吉は28歳で死去。家康九男、徳川義直が継ぐ。
1610年、家康が名古屋城を築城。