「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(15日)

ワールド・ベスボール・クラシック(WBC)で

 

侍日本チームは、

準々決勝

強打のベネズエラと対戦するも

で敗戦。

 

侍日本、大会連勝ならず、

残念です

 

しかし、

今大会期間中➡ ワクワクドキドキしながら楽しまさせて頂きました

       侍ジャパンの選手達. ありがとうございました。

 

(付記)

WBC大会;過去の結果

  回     開催年 優勝国     スコア    準優勝   MVP    監督    

5回 2023  日本  3 ー 2 アメリカ   大谷翔平 栗山英樹
4回   2017 アメリカ  8 ー 0 プエルトリコ  略   小久保裕紀➡4強
3回 2013 ドミニカ  3 ー 0 プエルトリコ  略   山本浩二➡4強   
2回 2009 日本  5 ー 3 韓国 松坂大輔 原辰徳
1回 2006 日本  10 ー 6  キューバ 松坂大輔 王貞治

 

(日めくりより)

今日(16日)の言葉

『雨晴れて笠を忘れる』  

 👅

雨具の必要がなくなると、笠のお世話になったことをすぐに忘れてしまう。

困難が去ってしまえば、すぐに恩恵を忘れることを戒める言葉。 

 👅

苦労を乗り越えて楽になると、それまで受けた人の恩義を忘れてしまうことをたとえる。

 

「千種区猫洞通(ねこがほらとおり)」の地名の由来等について調べました。

☟ネットより引用

現行行政地名は猫洞通1丁目から猫洞通5丁目。

住居表示未実施。

町名の由来

猫ヶ洞池にちなむとされている。

猫ヶ洞の由来は、

周辺の地名であった「金子硲(かねこはざま)」が変化したという説[

この付近の山を「兼子(かねこ)山」と呼んでいたのでそれが訛って「ねこがほら」になったという説、

磯谷滄州が中国の猫堂にちなんで命名したという説、

の3つの説が存在する。

(付記…1

町域は平和公園に至る猫洞通1丁目交差点から本山交差点までの市道の沿線である。

一部区間には、

町名の由来となった猫ヶ洞池を源流の1つとする準用河川山崎川が暗渠化されて流れている

(付記…2

猫ヶ洞池については

「猫ヶ洞池」を訪ねてきました

 

沿革

1945年9月 - 千種区田代町の一部より成立。

1964年1月 - 一部を徳川山町へ編入。

 

学区

全域 市立東山小学校 市立東星中学校

 

☟私、収集中の下記の資料をスキャン

 

☟なごやの町名よりスキャン…平成4年名古屋市計画局より発行

 

(日めくりより)

今日(15日)の言葉

『実のなる木は花から知れる』  

 👅 

 実のよくみのる木は咲いた花のようすからわかる。

すぐれた人物は、初めからどことなく常人と違うところがあるというたとえ。

 👅

実がたくさんつく木は花の咲くときから分かるように、

すぐれた人物は幼いときから常人とはどことなくちがうところがあるたとえ。

 

今朝、

早朝散歩から、

床の間に、

久しぶりに

江戸中期~後期頃の、

尾張の俳人、横井也有の画賛軸を掛ける楽しむ。

↓落款

 

時代による消耗(折れ、皺(皺)等)が大きくボロボロ状態です。

真贋については??ですが大切に仕舞っています。

↓全体             ↓句の部分拡大

 

↓この木箱に入れてあります

 

句の詠み

口切の 客さだめあり むらしぐれ 

           蘿隠

↓拡大

 

注釈等

「口切りの茶事」と「むら(村)しぐれ」という、情景や季節を組み合わせた句と思われます。

 

・「口切(くちきり)」とは、

 茶道における重要な行事の一つで、

 お茶の入った壺を開封する儀式のこと。

 … 立冬(11月7日~20日頃)に合わせて初めて開ける茶事、

  茶道ではお茶のお正月とも言われていて、とても大切なお茶事。

・「村しぐれ」は、
 冬に降る一時的な雨や雪を指す言葉で、冬の季語。
 
句意です??
口切りの茶事の日に、
お客様を迎えるにあたり、予期しないしぐれが降らない様に願っています。
 

横井也有の略史

名は時般、字は伯懐、通称は孫左衛門、別号に半帰庵・暮水・知雨亭・蘿隠等。

「洋ちゃん」のひとりごと
(追記…参考に)
同じ作品について、
にタイトル

としてブログしました。

 
(日めくりより)

今日(14日)の言葉

『まさかの時の友こそ真の友』  

 👅 

不慮の窮地に手を差し伸べてくれる友人こそが

本当に友人というべき存在である、という意味であるこのことわざ。

 👅

苦しい状況の時、助けてくれる友こそ本当の友だちだということ。

 

 

🔷お願い🔷

先ほどブログしました

『名東区散策シリーズ№7』の続きとして御覧ください。

 

先日(2月24日)

名東区本郷一丁目あたりにあったとされる

『藤森城址』を訪ねました。

 

↓本郷1丁目の藤森神明社から本郷公園あたりとされる。

↓藤森村絵図(弘化4年(1847))より

 

👇ネットより

藤森城は、

天正十二年(1584年)に起こった小牧・長久手合戦の、

落武者・小関三五郎が土着し、築いたお城と伝わるとの由。

 

小関三五郎は、

池田恒興軍に属し長久手で敗退、数名の家臣と、この地に逃れ、

天正十七年に死去…藤森城は廃城となる。

 

※すぐ近くにあります…(神明社の300mほど北側に)

 了玄院「由緒・石碑」に小関三五郎について記載あり。

…了玄院開創当時の開基藤森城主小関三五郎。

 

⇩了玄院墓地の石碑全文

 記載内容;ネットより引用

藤森城主小関三五郎、上社城主賀藤勘三郎両氏は、

共に長久手合戦無名の戦士追弔の志をもって、中田山了玄院を建立せり。
時は流れ世は移り、

山川草木昔日の影を残さず、

ただ地下に眠る無縁の霊のみ手向けの香を待って幾星霜、いまだ覚める時を知らず。
ここに藤森南部土地区画整理に当たり、往古の両氏が志を世人に告げんと碑を建立す。
尚うにら、わにら、おにら、三神は両氏が藤森地方の守護神として讃仰せし神なり。
⇩石碑裏
昭和四十四年八月八日吉日建之 当世七世大仙五雄代 

 

 

 

先日(2月24日)

名東区本郷1-22(東名高速のすぐ西側)にあります

『神明社(藤森)』を訪ねました。

(付記…参考)

名東区内には、二つの神明社があり、もう一カ所は「神明社(猪子石)」です。

 

↓神明社(藤森)の場所

※今は高台の上に建つ。

 以前はもう少し西の低い場所(36mほどの場所)にあったが、洪水の難を逃れるため現在の地に建つ。

☟参考に

 

↓本郷公園からの登り口方向をデジカメ

 

『神明社(藤森)』について

↓ネットより引用

所在地 名古屋市名東区本郷1-22 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 旧村社・十等級
祭神 豊受姫神(トヨウケヒメ)
菊理姫神(キクリヒメ)
祭礼・その他 例祭 10月10日

 

↓名東区史跡散策路等より引用

藤森一帯(本郷・藤が丘・豊が丘)の氏神様で、創始年月日は明らかでありません。

始めは現在地よりも西方の低地にあったのですが、

いつの頃か不詳ですが、

現在の高台に移されました。今ある社殿は昭和45年に新しく造営されたものです。

境内の西側に「和尓良以神旧墟」と彫られた

小さな石碑が立っていますが、これは前述の神社の旧地跡に立てられていたものです。

創建は不詳。

元は、現神社より西方20間(36メートル)ばかりの低地にあったが、

洪水の難を逃れる為、現在の地に移されたと伝わる。

 

👇デジカメ

 

↓由緒

 由緒…正面からのデジカメ困難。

⇩記載内容;ネットより引用

祭神  天照皇大御神
   豊受大御神
棟札に、貞和三年(西暦一三四七年)天照坐大御神

一宇再建、猿投大明神社、弘和元年白山宮修理、

他富士浅間社・山神社・天道社再建修復、享保九年、神明/白山 宮葺替等記したる数あり。
尾張志に、神明/白山 相殿社と呼び、国常立尊・菊理媛命を祀ると。

府志に、白山社創建は永享元年とし、社明相殿の由は見えず、故に後年相殿にしたるならんと説く。
社説に、上古今の社地より、二十間ばかり西方の低地にありしを、

後此所に移しし由いへりと、和爾良のことも付記。
近代までは、相殿の神々も本殿を離れた地に社を建て、各社名のもとに信仰されしは諸記にあり。
現在は神明社と称え、祭神と他の神々を相殿神として合祀する。

戦後英霊社を再建して末社となす。

合わせて斉しく尊崇を厚くする。
相殿神 国常立尊
    菊理媛之命
    木花開耶姫之命
    小碓之命
    大山祇神
    迦具土之命
末 社  戦没英霊之命 
         昭和五十七年十月建之

 

↓年中行事

↓拝殿

       

↓末社 英霊社

↓境内の西側に「和尓良以神旧墟」と彫られた小さな石碑が立つ、

 これは前述の神社の旧地跡に立てられていたものです。

↓「忠魂碑」か「戦勝記念碑」??

常夜灯

↓記念碑:「明治維新百年記念・神明社改築」記念碑

⇩記載内容;ネットより引用

記 念 碑
明治維新百年祈念事業として氏子崇敬者相計り 
新規に社殿敷地を定め神明社造営計画を進め社殿様式は総て御祭神に依り
神明風として社殿 社務所 水屋 参道 林苑計画を施行し建物はすべて
耐久性の構造を主体に一部木造を配し新時代の神社建築の粋を集め計画施行し

尚社号標 灯籠等は特志家の寄贈による
(裏面) 起工 昭和四十四年二月十四日    
      完工 昭和四十五年四月十五日

 

(参考…1)

藤森村絵図より弘化4年(1847)。

(参考…2)

「名東区本郷一から三丁目」の町名の由来…名東区ホームページより

この地域の洞前・杁ノ池・大久田などの小字を総称して

「本郷」あるいは「郷」の名で呼んでいたこと、

また地下鉄本郷駅があることによります。

 

(日めくりより)

今日(13日)の言葉

『用心に怪我なし』  

 👅 👅

十分に用心をしていさえすれば、過失や失敗は起こらないことにたとえる。

 

 

一昨日(10日)

ワールド・ベスボール・クラシック(WBC)で

 

 

侍日本チームは、

1次リーグ全勝で突破、準々決勝への進出決めました。

 

私「洋ちゃん」、

侍日本チームの戦いに注目していました。

➡大谷翔平&鈴木誠也&吉田正尚

 さすがに、米大リーグ所属の選手の活躍は見事でした

 

次は(準々決勝)18日に、

今日(12日)対戦する、

ドミニカ対ベネズエラ戦の勝者とアメリカ・マイアミで対戦します。

 

ワクワクしながら勝利を期待しています。

 

 

(付記)

WBC大会;過去の結果

  回     開催年 優勝国     スコア    準優勝   MVP    監督    

5回 2023  日本  3 ー 2 アメリカ   大谷翔平 栗山英樹
4回   2017 アメリカ  8 ー 0 プエルトリコ  略   小久保裕紀➡4強
3回 2013 ドミニカ  3 ー 0 プエルトリコ  略   山本浩二➡4強   
2回 2009 日本  5 ー 3 韓国 松坂大輔 原辰徳
1回 2006 日本  10 ー 6  キューバ 松坂大輔 王貞治

 

(日めくりより)

今日(12日)の言葉

『猿も木から落ちる』  

 👅 👅

木登りが上手なサルも、ときには誤って木から落ちることがある意から、

その道に熟達した者でも、ときには失敗することもあるというたとえ。

 

 

今日、

3月11日は東日本大震災発生から、15年経過。

              

時の経つのは早いものですが、震災の記憶は今も鮮明に残っています。

 

被災地の多くの復興は進み、震災前の様子を取り戻しつつあります。

しかし、

震災に遭われた方々の気持ちは癒えていません。

 

↓今日、11日付け中日新聞・朝刊1面よりスキャン

 

いつ、発生するか分からない災害に備えるため、

防災を学ぶ必要性をあらためて感じています。

 

 

(日めくりより)

今日(11日)の言葉

『後世、おそるべき』  

 👅 

後から生まれてくる者は、

これからどれほどの力量を示すかはかり知れないから、おそれなければならない。

 👅

若者の未来は未知数であって、いろいろな可能性がある。

努力しだいでどれほど進歩するか計りしれない。

 

先日、

名東区高針二丁目あたりにありました

高針城址

を訪ねました。

 

↓赤丸の場所

↓赤丸…古谷公園辺り

 

手持ち資料より

高針城について、

平山城で

この地の豪族(土豪)加藤勘三郎信祥(のぶよし:のぶあき)居城。

築城時期 は、1469年(文明元年)とされる。

規模は、愛知郡誌より、

東西72m、南北63mで、東部から東南部にかけて幅5m、深さ4mの大きな堀があった。

 

一説によれば、

加藤勘三郎信祥は織田 信忠に仕えており、

本能寺の変後、信忠を訪ねて京に出向くもそのまま行方不明になった伝わる。

※織田 信忠は織田 信長の長男

※加藤勘三郎信祥1474年に没したとされる。

現況は、

周辺は高低差が激しい場所で、閑静な住宅街と化して、お城の遺構は何も見当たらず。

(参考に)

猪高物語(表紙をスキャン)より「高針城」について記載あり

 

 

↓デジカメ…崖の状態

 

 

             

 

(日めくりより)

今日(10日)の言葉

『物がなければ影ささず』  

 👅 

物がなければ影もないないわけで、原因がなければ結果もないことにたとえる。

 👅

物事がうまくいかなくなっても、あせらず、落ち着いて、時節の到来を持つべきだ。

うまくいく得意の時代には、おごらず、つつましい態度で当たるべきだ。

 

 

先日(2月27日)

名古屋市市政資料館で開催の

名古屋市市政資料館令和七年度企画展

「名古屋市役所本庁舎ができるまで」

を鑑賞してきました。

 

パネルより

初代名古屋市役所庁舎は、

明治13(1880)年から栄町・南大津通角(栄交差点南西角)にあった名古屋区役所の

建物を明治22(1889)年の市制施行後も使用していた。

明治40(1907)年に火災で全焼したため、

 

明治42(1909)年に2代目名古屋市役所庁舎を新栄町(現在の中区役所の位置)に建設する。

 

その後、市域の拡張により庁舎が手狭になってきたことなどから、

大正14(1925)年には、新庁舎の用地取得について市会で議論され、

昭和3(1928)年に旧陸軍第三師団の用地があった三の丸の一画の取得を視界で議決し、

昭和天皇の即位を祈念する御大典事業として、

3代目名古屋市役所庁舎を建設することになりました。

 

本企画展では、

 

デジカメ(撮影可…一部ダメもあり)

↓初代 名古屋市役所

↓二代目 名古屋市役所

👇三代目 名古屋市役所

(付記…1)

(付記…2)

↓パンフレットをスキャン…一部加工

 

(日めくりより)

今日(9日)の言葉

『静中の静は真の静にあらず』  

 👅 👅

活動しない時に心が動揺しないのは、本当の静けさでは無い。

 活動している時に動揺せずに出来てこそ、真の静けさである。

 安楽な中での楽しみは、本当の楽しみではない。

 

 

 

🔷お願いです🔷

先ほどブログしました

『名東区散策シリーズ№4』の続きとして御覧ください。

 

先日(2月26日)、

名東区香流2丁目、香流小学校の南側にあります

中島公園近辺(香流小学校の南側)を訪ねデジカメ。

↓場所

 

👅デジカメ

↓中島公園                        ↓香流小学校

  

 

↓香流小学校の旧校舎…現在ベビー用品のリサイクルショップとして使用。

 名東区香流2丁目215
 年代:昭和31年~昭和32年頃築

(付記)…ネットより

当時は猪高小学校北部分校という名前で、

昭和38年に同校が香流小学校となり、

新校舎建設により昭和47年に現在の場所に曳家により移設された校舎。

 

 

↓行者堂・修験道・菊田先生の碑…香流小学校と中島橋の中間付近にあり

☟行者堂…上記デジカメの右端は「お砂踏み台」。

 

☟菊田先生之碑

この場所は、菊田先生の元やしきがあった。

先生は明治37年71歳になるまで、香流学校の教師を勤めていた。

 

(追記)

👇明治21年(1888年)の猪子石中島の周辺