専應寺(せんのうじ)と太子堂 | かかしんぼうぶらり散歩

かかしんぼうぶらり散歩

~雲がたくさん出て来たね~
焦らずゆっくり飛ぼう

 

 

 かかしんぼうぶらり散歩

 
 

生駒山

今朝のご来光です。

午後の生駒山です。

ご来光が良いと日中の天気もいいですね。

今日は暖かい日になりました。

日向ぼっこに最適です。

 

今日は専應寺境内にある太子堂周りを紹介します。

2022年のブログで概ねの事は載せました。

 

重複しますが角度を変えて紹介します。

専應寺の裏側に回ると太子堂(左)があります。

本堂は右上に屋根が一部見えています。

ここは太子堂の境内です。

太子堂

燈籠があって神社ぽいですね。

 

 

 

 

このお堂に安置されている聖徳太子象

市指定有形文化財になりました。

聖徳太子立像

市指定有形文化財に「専應寺聖徳太子立像」が指定されました。

本尊は、野崎の専應寺聖徳太子堂に安置されている聖徳太子16歳の姿を現した像です。

専應寺に伝わる享保年間(18世紀前半)の記録に初めて登場し、江戸時代に流行した野崎まいりでは、多くの参拝者が太子堂に詣でてから、慈眼寺(野崎観音)に参ったといわれています。

平成30年に市教育委員会が実施した調査によって、頭部や顔の表現などから室町時代に製作されたと推定されました。

本尊は、北河内に現存する最古の聖徳太子像であり、市域における浄土真宗と聖徳太子信仰との関係を知る上でも貴重な文化財であることか、1月1日、春分の日、8月15日、秋分の日に本尊が開帳されます。

大東市報 だいとう 2019 11月号に

掲載されています。(原文)

 

最初に紹介した太子堂の山門です。

 

以上太子堂でした。

 

ここからは京極丹後守から寄進された

手水鉢のことです。

太子堂の前にあります。

寄進された手水鉢です。

「寄付京極丹後守」の銘が刻まれています。

もみじの葉が浮かんで風流ですね。

 

上の説明はこれのことです。

今から約四百年の元和(げんな)年間、諸藩に銘じて天下伏普請(てんかふしん)で行われた徳川の大坂城築城の際には、京極丹後守高知(たんごのかみたかとも、1572〜1622)がこの寺に陣屋を設け、石垣用の石を切り出していました。

切り出された石は、野崎の浜から舟で、旧大和川(深野池・寝屋川)

を下り、大坂城まで運ばれました。滞在の礼として、丹後守は、寺の石垣と階段を積み、手水鉢を寄進したとされています。

現在も石垣には「丹」の刻印や矢吹の跡を見ることができ、境内の手水鉢には、「寄付京極丹後守」の銘が刻まれています。

平成26年  大東市教育委員会

 

下矢印

上の拓影です。

「丹」の字がよく分かります。

これは石を切り出す時に打ち込んだ

矢吹の跡です。

 

刻印は見つけられなかったです。

 

おまけ

境内にあるカリンオの木です。

いっぱい実が落ちています。

ゴロゴロと落ちていました。

 

これから専應寺を出ます。

通用門を出ると坂の上に行先案内の板が

立っていました。

寳塔神社(ほうとうじんじゃ)と野崎不動尊

です。

両方とも一度行っています。

ただこの道を歩いて行ったことはありません。

別な道から行きました。

寳塔神社はブログに載せました。

野崎不動尊はまだ投稿していないので、明日

載せたいと思っています。

 

今日はこれで終わりま。

ご訪問ありがとうございました。