今夜は味噌田楽とそば

どうせそばをさっとゆがくからお湯がもったいないからこんにゃくも一緒に湯通しして田楽。浅い鍋には昆布をいれてあごだしの粉もいれた。煮たったら砂糖大さじ1位、酒少しと醤油をそばつゆの色になるまで大さじ三杯ぐらいか。これを煮たて卵を真ん中にそっといれてゆっくり煮詰める。

月見という綺麗さはないが少し固まった卵は汁にすぐ溶けないから具として食べれる。あとはネギと天かす。適当な目分量だがあごだし粉末以外は日高昆布、醤油、砂糖と天然素材でくどくなくて汁も全部飲めた。つゆの素で作ると飲み飽きて捨てたりする。味噌汁もインスタントは半分ぐらい飲み残して捨てたりするが、自前の味噌と昆布だしの味噌汁は冷えてからも美味しくて残すことはない。

テレビでは2001年の歌謡ランキングをやっていた。浜崎あゆみとか僕の世代ではもう心が動かない曲がズラット並んでたのに一位はダントツの桑田佳祐、嬉しくなって寝っ転がりをやめてテレビ前へ。曲は白い恋人たち、この曲も好きな曲。

しみじみ聞いてたら歌詞のなかに

三連勤が終わった。今日は塩干のホッケや紅鮭を切ったあと1mほどのシイラから。

頭を落として三枚(おろし上下に切り分けて皮を引いて刺身のスタッフへ。この魚はハワイではマヒマヒという魚で表面に腸炎ビブリオ菌がついてることが多いのと、皮に軽い皮毒をもってるというから、ていねいに水洗いや鱗落とし、皮引きと真水をまな板に流しながらの作業。

次は中型のあじ25尾、まだ次もあるしスタッフが今日は足りないから急ぐやり方で大名おろし。普段は頭を落としてそこから骨に沿って包丁をいれて上下の身を切り取るが、もっと早いのは頭を落とさず首の付け根にいきなり包丁をいれてそのまま尾のほうへ切り取る。少し歩留まりが悪いからあまりやらない。血合い骨を抜いて皮を引いて渡す。

次は50センチほどのイナダ。さっさと刺身へ渡すし、4本の鰹にかかる。どれも刺身用だから遅いと刺身のスタッフさんの手が空いてしまうし終わりがきつくなるから、とにかく早く回してあげると昼まで勤務の年配のパートさん二人が楽に仕事ができる。スーパーは大量の品を早く出すために分業だから、料理屋のように一尾をていねいにゆっくり仕上げてたら回らない。

最後にまた今日もブリの小型のワラサが10本ほどあって若い社員さんがやってたが、品だしとかもやりながらでなかなか進まないから5本ほど引き受けて刺身用の三枚おろし、皮引きもやった。人手が少なくても助けになるパートがいると思ってもらえたら頑張りがいもある。終わりに彼からサブレをもらってお礼された。

さて今夜は暖かいうどんかそばを作るかな

4時半ごろまで暑いさなか窓を開けて扇風機で酒を飲んだりしてた。とうとう窓を閉めてエアコンを25度、布団をしいてパンツとシャツでゴローンと寝っ転がると気持ちいい。弾みでホットコーヒーを飲むとうまい。冷たい部屋に暖かい飲み物、贅沢だぁ


今日の仕事も昨日と同じいきなり70センチのワラサが15本。最初サワラと書いて間違ってた。ブリの小型はワラサ。鱗とりエラ腸とり、頭落とし、三枚おろし。昨日の9本より段取りを直してより早く作る。量が多いから早く店に並べて多くのお客さんに見てもらう。


終わったら頭を叩いて二つ割りで30個にする。骨やハラスや血合いの身もバンバン叩ききる。ちょうど店長が近くの小学5年生の職場見学をつれてきた。もう少し早ければ魚の三枚おろしも見せれたけど少し遅かった。


ほんとはこういう子供建へのお話は売り子時代から得意で、日本橋の鰹節屋でも観光客や見学者への売り込みやお話は僕の独壇場。皆さん僕を旦那さんと呼んでいた。

秋田に帰って市民市場では仲良くなったお子さんが初めての落とし玉はおじさんのところで買い物するんだときかないんですと、正月にお母さんが小さいお子ちゃまをつれてきた。


お財布にお金は持ってたがお母さんの手間を考えたら面倒な魚は勧めたくなくて、一握りの活きあさりを勧めた。お母さんに味噌汁でも作ってもらいなと一握り量ったら百円ちょっと。子供は活きたあさりに嬉しそう。お母さんは面倒がなくて喜んでくれた。あの夜のあのご家庭は味噌汁で話題が広がってくれたら何より。その後も毎週のように来てくれた。そんな子供がたくさんいた。


でも今日は店長が案内役、僕らは調理人として黙々と仕事をしていた。