映画 「コレット」 令和元年5月17日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳:山門珠美/字幕監修:工藤庸子)

 

 

14歳年上の作家ウィリー(ドミニク・ウェスト)と結婚したコレット(キーラ・ナイトレイ)は、

芸術家が集うサロンに入り浸る生活を楽しんでいた。

彼女に文才があると気付いたウィリーは、自身の小説「クロディーヌ」シリーズを代筆させる。

シリーズはベストセラーとなり、二人は文壇を代表する夫婦になるが、

コレットは浮気を繰り返す夫と、自分が「クロディーヌ」を書いたことが人々に認められないことに悩む。

                                                     (シネマ・トゥデイ)

 

1892年 フランスの田舎町サンソヴール。

がブエルの田舎の家には、パリからの男性が到着し、華やかなパリの話に花が咲きます。

「ウィリーは娘のガブリエルに夢中だけど、持参金ゼロの嫁はきびしい」

両親の心配をよそに、人気作家で(多分)資産家のウィリーは、ガブリエルに求婚します。

 

パリの文化や社交界に精通したウィリーと田舎育ちのガブリエル。

「パリのどんな女性よりもわたしを選んでくれた」

14歳の年の差カップルのふたりの新婚生活はラブラブではじまりますが、

だれからも

「天下の遊び人を射止めたのね」といわれるような

女性に節操のないウィリーの浮気癖がだんだん気になりはじめます。

 

とにかく、ウィリーは話し上手というか、話を盛って場を盛り上げるのが得意。

ガブリエルに甘い言葉をささやきながらも、すぐに女のところに行ってしまうし、

「人気作家」という肩書ですが、実際に自分は書いておらず、アイディアを提供するだけで、

実際はゴーストライターを何人もかかえていたんですね。

 

「男は衝動に弱い」と言い訳し

「(持参金のない)君を結婚するために、相続権も捨てた」という夫でしたが、

度重なる浮気癖と、「薄っぺらでうぬぼれ屋ばかり」のパリの生活に失望して、

実家に帰ってしまうガブリエル。

 

実家の母に

「妻や母の役割を演じていると思ったことはある?」と聞くと

「妻は時々あるけど、母の方はないわ」

「あなたらしさは誰にも奪えない。あなたらしい結婚にしなさい」

といわれます。

 

ウィリーがパリから迎えにきますが

「ここにいるとパリが汚らわしく思えるし、あなたのこともぜーんぜん思い出さない」

と突っぱねます。

「君なしでは筆がすすまない」とパリに戻るように懇願する夫に

「妻で終わりたくない、私もなにかがしたい」と要求をだして、

とりあえずパリには戻るのですが、

収入は多くても浪費家のウィリーのところへは、連日ゴーストライターから「金払え!」の督促。

 

ここでウィリーはタダで書いてくれそうな妻の存在に気づき

「サンソヴールでの体験話を書いてほしい、心をゆさぶる話を書け」

最初は気がすすまなかったガブリエルでしたが、

白いノートを広げると、どんどん筆が進み、何冊ものノートに短編を書き上げ、

リボンをかけて 「ウィリーへ」と書いてプレゼントします。

「面白いけど形容詞が多すぎ。甘ったるくて女々しい」と酷評するものの

いよいよ家の家具まで差し押さえされる事態になってしまい、

これに手直しして、ウィリーの名前で出版することにします。

 

「学校のクロディーヌ」

クロディーヌシリーズの第一作として世に出たこの本は、大ヒットし、

出版社のオランドルフから25000フランの前払い金を得て、

執筆用にと、森の中の瀟洒な別荘をプレゼントされて喜ぶカブリエル。

ただ、のんびりする余裕はなく、夫から部屋に「缶詰」にされて、

2作目の「パリのクロディーヌ」を書き上げます。

 

夫のゴーストライターだということはもちろん秘密でしたが、

ガブリエルは、実生活のなかで、自分のセクシュアリティーに違和感をもち、

同性に惹かれていることに気づきます。

まわりからも「あなたは両性具有っぽい」といわれ、(ガブリエルではなく)コレットを名乗るようになります。

(以下、コレットと表記)

 

そして、裕福な年寄りの武器商人の妻、ラウル・デュバル夫人(通称ジョージー)とは、

ガッツリのレズビアン関係になるのですが、そのことが夫にバレてしまいます。

これを知ったウィリーは、ジョージーの家を訪れると、なんと妻の浮気相手と関係を結んでしまいます。

ウィリーはバイセクシャルだったそうですが、コレットもジョージーもそうだったんですね。

このグダグダの関係は、「家庭のクロディーヌ」のエピソードにいれられますが、

「この話は世に出さないで!」とジョージーからストップが。

 

「名前は出さないし、本はアートなんだから」といっても聞き入れらず、

ジョージーの夫のお金の力で、出版差し止めとなってしまいます。

「家庭のクロディーヌは火あぶりになったけれど、版権はこっちにある」

と、余裕をみせるウィリー。

 

1903年、クロディーヌシリーズが舞台作品として上演されることが決まり、ヒロインが公募されます。

「われこそがクロディーヌ」という女性たちが国中から集まりますが、

そのなかでも、ポリーヌという優勝者の

「短髪で白い襟に紺の制服姿」のヒロイン像が世間に受け入れられます。

作者のコレットのクロディーヌのイメージは「おさげ髪」だったのに

逆にポリーヌのほうに寄せて、コレットもバッサリを髪を切って、短髪になります。

 

 

 

街中にはクロディーヌのキャラクター商品があふれ、

クロディーヌおしろい、クロディーヌ石鹸、クロディーヌ扇子・・・・

みんなが髪を切り、白い襟の制服姿で歩くようになりますが、

コレットの興味は芝居やダンスへと・・・・

 

ナポレオンの血もひくという、高貴な公爵夫人、通称ミッシーは男装の麗人で

彼女はいわゆるバイセクシャルではなく、トランスジェンダー。

自分の女性の部分を封印し、世間の偏見に負けずに、男装を貫くミッシーは

「新たなる女性」で、「上品で勇敢、真の意味での紳士」とコレットはほれ込み

ミッシーとの関係を深め、いっしょにカントマイムのヴァーグのレッスンを受け、

舞台に立つことを目指していました。

 

このころ夫のウィリーは、ファンだといって近づいてきた、若いメグと親密になっており

夫婦関係はお互い非干渉状態。

 

「ウィリーは注文が多いけど、割と自由にはさせてもらってる」

コレットは夫に対してこんな感覚だったのですが

「長い手綱でも手綱にはかわりない」とミッシーにいわれます。

ある日、「クロディーヌの作者を連名にしてほしい」といったら案の定断られ

「太った怠惰なワガママ野郎!」とさけんでしまいます。

 

夢中になっている演劇「エジプトの夢」の稽古も

「場末の演芸場でたたかれるヤツだ」とばっさり。

それでも、「高貴な夫人が男装して舞台にたったら世間が注目するはず」と金の臭いを感じたか

ムーランルージュでの初演をちゃっかり売り込んでしまいます。

 

棺から(コレット演じる)クレオパトラみたいなのが蘇って、半裸で腰をふりふりして

男装のミッシーとキスをする・・・・というところで、

「同性愛者は失せろ!」

と、客席を埋めていたミッシーの元夫の関係者たちが騒ぎ出し、

いろんなものを投げ合ったり、殴り合ったり・・・・

結局、公演は中止、大損害となってしまいます。

 

1905年、サンソヴール

父の葬儀で実家にかえっていたコレットのところにまたウィリーがやってきます。

 

「うちは全財産を失った。田舎の別荘を売ろうと思う」

怒るコレット。母も

「彼の口座に監査をつけて、さっさと離婚すべき。」

「あなたは自分の才能を生かさなければ」といってくれます。

 

ヴァーグやミッシーたちと巡業に出て、マイムの新作を地味に公演するコレットたち。

旅公演をわざわざ見に来てくれた出版社のオランドルフから

「ウィリーからクロディーヌシリーズのすべての永久版権を買い取った」

ということを聞かされてショックを受けます。

 

「稼げる妻があなたのいちばんの投資物件ということね」

「私のすべてをあの本にこめた」

「あなたを喜ばせようとおもって頑張った自分が情けない」

「あなたは自分の型に私を押し込めた」

「あなたに裏切られてクロディーヌは死んだ」

 

そして、「柔肌」の旅公演中に、白紙のノートをみつけ、

「さすらいの女    コレット作」

タイトルを書いて、昔夢中で書いた時のように、

今度は自分の名義で小説を書き始めるのです・・・・・・            (以上あらすじ)

 

 

コレット(1873~1954年)はフランスで最も有名な女流作家のひとりですが、

この映画で扱うのは、自分の名前がまだ出せなかった、最初の夫との時代で

「知られざる前半生」というところ。

 

エンドロールでは、

燃やされる運命だったコレットの「自筆原稿」のノートは、秘書の機転で現存し、

元夫との裁判でも勝ったこと

そしてコレットのことば

「いい人生よ、もっと早く気づけばよかった」・・・が紹介されます。

 

あらすじを長々と書いてしまったので、あとは、おもいつくまま、感想を書きます。

 

「妻が夫のゴーストライター」というのは

メアリーの総て」「天才作家の妻」と最近多いし、

同性愛ものはさらに今のトレンドなので

いわゆる「流行りネタに乗っかった」というしたたかさも感じるのですが、

それ以上にコレットの生涯がいろんな要素を含んでいるので、

人によって、いろんな共感や反感を持ちそうで、興味深い作品です。

 

夫のウィリーをどう見るかも、きっと人それぞれなんだろうと思います。

 

「ひどい芝居は歯医者と同じ。(本なら閉じればいいけど)最後までじっと耐えなきゃならない」

「歴史を作るのはペンを持つもの」

「すぐれた作家なら、すべて言葉にしろ」・・・

 

ウィリーの言葉は簡潔で、話術も企画力も優れていて、

そもそも田舎出身のコレットを妻にする時点で、なかなか「お目が高い」んですが、

浮気癖と経済観念のなさが致命的ですね。

ちゃんとお金の計算のできるブレインがいれば、成功を維持できたのにね。

 

お金に困って版権を売ったのはどうかと思いますが、

そのまえに(自分の名義の)別荘を売ってもいいかと妻に言って激怒されたから、

もう無断で売ってしまえ!となったんでしょうね。

究極のクズではありますが、彼の「添削」がなければヒットは望めず

「天才作家・・・」の夫よりはマシかな?

コレットが世にでるきっかけを何重にも与えてくれた人物であることには間違いないです。

 

「同性愛もの」としては、

トランスジェンダーのミッシーについても

「ある日兄の制服を着てしっくり感じる自分に気づいた」くらいの説明で、

そのほかの登場人物はほぼみんながバイセクシャル。

「(時代の最先端を行く私たちには)女性も男性もないノージェンダー」

「同性愛(バイセクシャル)を楽しみましょ!」的な感じでした。

当時のパリの風俗のひとつとして扱っただけで、

「同性愛の映画」のジャンルはちょっとないですね。

 

最後まで、コレットはいつも「本当の自分」であろうとしていただけで、

夫と違ってお金や名声は気にしませんでした。

版権を無断で売ったのに激怒したのも、自分の作品に敬意を払わず

商品としてしか見てない夫に対しての怒りだったのでしょう。

 

コレットがここまで自分自身に向き合えたのは

おそらくは、実家の母の育て方が大きいと思います。

私は個人的に母シドに一番共感していて、

↑でも彼女の言葉を太字にしてしまいましたが、

夢破れて帰ってきた娘に、この時代だというのに

世間体を気にせず、励まして送り出せる母はスゴイな~

と感心した次第。

 

ベルエポック時代のパリの風俗や、サロンの様子に浸れるのも映画ならでは。

キーラ・ナイトレイもはまり役で、「有名作家の世に出るまでの前半生」という地味な素材にもかかわらず、

(日本人にはそこまで有名ではないので、「後半生」もやって欲しいところですが)

それでも、見どころ満載のぜいたくな作品になっていました。

 

ひとつ気になったのは、ペンを走らせる文字はすべてフランス語で、

もちろん本もすべてフランス語の表紙なのに、

セリフはすべて英語!

大作映画はおしなべてそうなんですけど、

これって、どうなんだろ??