この感覚、案外共有できてないんだなと思うので言語化しておきます。
エネルギーを注げば注ぐほど現実化していく
エネルギーを注げば注ぐほど現実化していく
エネルギーを注げば注ぐほど現実化していく
コーチングで目標設定するときに、
今起こっている問題を解決したい!
というテーマになることがあります。
ビジネス・コーチングだと半分くらいこれ
問題解決だけを目指すのであればけっこう簡単で
発生源特定して、
関わっている人を洗い出して
過不足を調整して、
メンテナンスの仕組みを作っておく
こんな感じのプロセスをたどることになる
それで実際に理想的な状況が手に入っただろうか
一時的には、
あるいは
狭義で考えると
達成され手に入ったものがある
でもその先は・・・
トレードオフの関係
この感覚に出会ったのはSDGsについて
学び深める中だったけど、
ある社会問題が解決したところで、
もしかしたら他の社会問題を悪化させる
かもしれないってことが実際に多くある
家庭排水の汚染度合いを下げるために、
洗剤を使わなくても油汚れが落ちやすい
アクリルたわしをせっせとアクリルの毛糸で
編んではプレゼントしてた時代がある
ところが、SDGsの「14. 海の豊かさを守ろう」の
関係で、海を漂うマイクロプラスチックによる
海洋環境の汚染が取り沙汰されるようになって
このアクリルたわしの繊維片がマイクロプラスチック
として海まで流れ出てるという話になってることを
知るわけです。
考えが狭かった。合成洗剤による汚染は減らせた
かもしれないけれどもマイクロプラスチックによる
汚染を引き起こしてしまっている。
否が応でもグローバルに私達は連動している
思いもよらないところに紐付いていて、
私達は互いに連動しあっているんだけれど、
生活していて何も意識しなければわからないし、
気にしなくても生活していける
逆に気にして調べて考えていくと
何もできないとすら思えてくるくらい
影響が広範囲に及んでいることがわかる
便利で助かると思って生活用品を買う
梱包は速攻ゴミになる
使い終わってもゴミが出る
プラスチックは
燃やすとCO2排出に貢献してしまうし、
埋めても分解されないし、
細かく風化してしまうと生物に蓄積されたりして
環境に悪影響が出てしまう
ゴミとして出してしまえば
自治体が回収してくれて目の前からなくなる
どうやって処理するのがいいのかわからなくて
ゴミが出せなくなると自宅がゴミ屋敷化していく
ものを買うとゴミが出る
何も買わないでいられるかというと
そうも言っていられない
買うときに厳選して後々のことを考えて
・・・
そんなことやってると
買う楽しみは苦しみに代わる
問題解決すると次の問題が勃発する問題
世の中のいろんな問題をひとつひとつ解決していけば
世の中はぐっと良くなるんだと思っていました。
でも、どうやらそうではない。
こっちの問題が解決すると
あっちの問題が悪化したり
丸く収まったと思ったと思ったら
新たな問題が発生したり
切りがない
全ての問題はなくならない
問題解決することにもし快感を覚えていたら
それが引き寄せているかもしれません。
問題を解決できる、
問題にうまく対処できる
そのことによって自己肯定感は上がります
それを手に入れるために次なる問題が
目に飛び込んでくるという仕組みになって
いませんか?
この仕組で困ることがあるとしたら、
なかなか理想的な状態にたどり着かないってこと
常に手に入れたい状況を思い描く
たとえば学校で
いわゆる学校環境に馴染めない問題児をなんとかしようと
やっきになるよりは、お互いのいいところで補い合えるような
関係性を作りたいと思えば、生徒一人一人のいいところに
注目して、発見しては声かけてって繰り返していると、
問題が個性的なものに見えてきたり、みんなが落ち着いてきたり
刺々しい雰囲気がずいぶんなくなることがある。
問題は気になるかもしれないけど、そこにせっせと水やり
してはいけない
問題がない状態は何がある状態なのか
戦争がない状態は平和な状態だとしたら、
いったいどんなことが起こる日々なのか
現状を変えていくための改善はもちろん大事だけれど、
同時に手に入れたい未来に向けたアプローチも
やっていく必要がある
多少の問題はそのまま抱えて理想の状態へ向かって
突き進んでいったほうが早く確実に到達できる。
問題をなかったコトにするわけではなく、
問題は問題として抱えたまま、
行動しても構わない
その問題が前進する力を阻むもの、蝕むものであれば
対処したほうが良いかもしれないが、せっせと水やりをして
問題の種を撒き散らさないほうが良い。
そんな考え方をしてみませんか?