KajiKen Diary
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十一月と学祭

 11月に入りました。2ヶ月1枚のカレンダーは、最後の1枚になりましたね。そうそう、偶然ですが、旧暦では今日から正式に「神在月」です。

 

 毎朝、ベランダに出て「蜘蛛の巣」を取り除く作業が日課でしたが、ここ数日なくなりました。夜、あれだけ鳴いていたアオマツムシの声も聞こえず。今年は、暦の上では秋になっても暑い日が続いていましたが、小さな生き物の世界は流石に秋らしくなっているようです。

 

 さて、月が変わってすぐの明日2日(土)と3日(日)は、いきなり学園祭。ですが、一部の団体を除き、学内は盛り上がっておらず静か。例年なら、開催日を含む週になると、実行委員会メンバーがウィンドブレーカーを着て忙しなく動き回っているのに、今年はその姿を見かけません...。

 

 今年の学園祭は、今までとやり方が変わったようで、実行委員会の皆さんも右往左往している感じ。おそらくは、自分たちで変えたのではなく、諸事情で変えざるを得なかったのでしょう。その辺りが、雰囲気の変化につながっているのではないかな、と思っています。

 

 明日からだというのに、私から見てもまだ準備が整っていないところもあり、前日の今日は徹夜作業になりそうな雰囲気。でも、なんとか形あるものにして、来年度に繋いでいってほしいものです。それと、しっかり記録を残し、来年度に引き継いでくださいね。

会社のOB会

 大学に来る前は、会社の研究所に勤めていましたが、その研究所職員らのOB・OG会が開かれるとの案内が転送されてきました。

 

 何年か前に、研究所の創設50年(60年だっかたかなあ...)の記念式典があるとのことで声がかかり、出席しました。同じ頃、研究所の労組支部創設50年の同窓会もあり、出席してきました。声がかかるのは、それ以来ですね。

 

 おそらく定年まで勤め上げた皆さんが中心になってOB・OG会を開催されていたものと思います。私は、途中で転職した者ですので、連絡がなかったのでしょう。それが、ある案件で、元同僚の先輩社員とコンタクトをとったことから、「こんな企画がありますが、どうですか?」と声をかけていただいたようです。

 

 出欠返答のリストを見せていただきましたが、懐かしい名前もありました。また、最近になり、鬼籍に入られたという情報も。

 

 開催予定日は、こちらでの案件がすでに3つ重なっていますね。メインは大学関係の仕事で、その業務に従事するのかしないのかが確定するのは直前。それがお役なしとなっても、次の案件の調整が必要...。やはり出席は難しいかな。

帝祭開催間近

 宇都宮キャンパスの学園祭「第35回帝祭(みかどさい)」が、この週末11月2日(土)と翌3日(日)の両日、開催されます。今年のテーマは「百祭繚乱〜華やぐ一瞬を刻んで〜」とのこと。

 

 私も例によって絡んでいます。吹奏楽同好会の方は、初日昼前にステージ演奏、そして両日ともに模擬店を出します。今年は急に「指揮棒を振ってください」と言われ、直前の1週間、私も猛練習中。

 

 一方、生物研究部の方は、副顧問になってからほとんどタッチしていないので、何をやるのか情報なし....。伝え聞くところによると、例年通り、生物化学実験室での展示と体験ブース、そして模擬店を出すようです。

 

 また、今年も「ピンクリボン宇都宮」運動のブースを出展します(2日のみ)。さらに今年は、近隣の大学にも「出展させていただきたい」と申し出たところ、11月4日、白鴎大学の大学祭にも初めて出展します。

 

 また、11月3日の学科開放企画では、当初担当予定の先生のご都合が急に悪くなり、代役を務めることになりました。ピロティで実験教室と工作教室を都合4回実施します。

 お時間があれば、是非お立ち寄りください。2日目(11月3日)のビンゴ大会、今年はお笑ライブの前に行われますね。知らなかった....時間帯が学科開放企画とダブっている....楽しめない....。

二段の振返り

 私の授業を受けている人はご存知のように、記憶が新鮮なうちにその日の講義を振り返り、授業終了時に提出させる出席調査カードに「今日のポイント3項目」を書き記してもらう作業を行なっています。これで、記憶の定着に少しは貢献してきたものと思っています。

 

 しかし、最近の試験結果から判断すると、今はこれだけでは不十分なようです。そこで、ポイント3つに加え、その日の講義の内容に関連した問いを一つ提示してそれに回答してもらい、さらにその回答を数人のグループ内で発表しあって、より正確な理解に近づいてもらおうと考え、某科目で「2段階の振り返り」作業を試験的に導入しました。

 

 ですが、4週を終えての手応えは「う〜ん。」最初の個人の回答がすでにかなりズレ気味。その結果、複数人集まって話し合っても、こちらが期待している「なるほど、そいうことだったのか。わかったぞ」という段階に誘導できていないですね。つい先日は、講義の中で「その日に出す予定の問いに対する考え方のポイント」も説明していたのですが、それが理解されていなかった...。教え方にさらなる工夫が必要と反省しています。

星型の書き方

 何気なくテレビを見ていたら....星型の書き方が人によってかなり違うということにびっくり。みんな同じだと思っていたのに...。

 

 ネットで調べてみたら、昔から話題になっているようです。

 テレビでは、さらに性格判断にもつながっているとか....本当かなあ。

 

 私は◯(丸)と0(零)の書き出すところが、下からか上からかで違います。しかし、学生が書いたレポートやテストの解答を見ると、人によって異なり、私には◯か0かわからないケースもあります。筆跡を見ると、数字の「8」の書き方も人により違うようです。

 

 図形の三角形や四角形の書き方も、きっといろいろでしょうね。

ソフトボール

 24日(木)午後、久々にバイオサイエンス学科の研究室対抗ソフトボール大会を実施しました。

 

 コロナ禍で中断していたので、5年ぶりくらいの開催だったかと思います。また、来年2025年4月からの理工学部改組に伴い、「バイオサイエンス学科」が「環境バイオテクノロジーコース」に看板を変えるので、バイオサイエンス学科としては最後の大会にもなりましたね。

 

 私はあいにく「移動日」で、第2試合(3・4位決定戦)の最終回になんとか間に合って、代打出場。空振りを二度続けた後、なんとか当て、内野ゴロ。久々にソフトボールに取り組みましたが、バットやボールってこんな重たかったっけ....。試合結果は、最下位でした。

 

 学科内のソフトボール大会、私が学科長をしている間に誕生した企画ですが、実は私、あまり出場した記憶がないですね。というのも、なぜかその日に学外の科学講座に呼ばれたり、海外入試に関連して出張中だったりで、縁遠い企画でした。

 

 海外出張の年には、卒研生たちが私の顔写真をプリントしたTシャツを着て、私も参加していたようにしてくれました。そのTシャツは、寄せ書きをしてくれ、研究室に卒業記念品として残っています。あの年度の卒研生諸君、元気かなあ。

ピンクの機内

 そうそう思い出しました。24日(木)復路の飛行機でのこと。羽田空港に降りる着前、機長からアナウンスがあり、「10月はピンクリボン月間です。この運動に協賛しているので、機内の照明を一時的にピンク色にします」と言う旨の宣言があり、写真のようになりました。

 機内照明の色調を変えたサービスなんて、初めてでびっくり。おそらく色調可変なLED照明になったからこそできた仕業なのでしょう。また、このような協賛の仕方もあったんだと感心。「ピンクリボン運動」に関与している者の一人として、感謝申し上げます。

 

 一方、往路の飛行機の中では、そのようなことはなかったですね。代わりに、「出雲の10月は神在月で...」というアナウンス。ですが...神在月は旧暦で行う神事なので、今年はまだ先の話。ちょっと「勇み足」的なコメントでしたね。

 

 このように、飛行中、機長からのアナウンスが毎回ありますが、機長の個性も出て、「今回はどんな話なのかな」と思いながら聴いています。ネット上に、桜シーズンに「機内でお花見を」と称して、ピンク色になったという情報が載っていました。ひょっとして、同じ機長だったのかな。

 

 

キンモクセイ

 先週、学内のキンモクセイがまた匂ってきて、「二度目が咲いている」と書き残しておきましたが、宇都宮に戻ってきたら、もうすでに散っていました。

 

 ですが、今週、帰省中に田舎でラジオを聴いていると....「キンモクセイが匂ってきて、秋を感じます」という情報が流れているのを、二度耳にしました。やはり日本は南北に長いこともあり、地域によってキンモクセイが話題になる時期が異なっているようですね。

 

 桜前線とは逆に、北から南へ移動しているものと思いますが、どこかに情報をまとめたサイトがないのかなあ...。

無事宇都宮に

 24日(木)朝早くから起き、掃除と洗濯、そして9時半過ぎに実家を後にし、出雲市駅前10時過ぎの空港連絡バスで出発。そして飛行機、新幹線などを乗り継いで、宇都宮駅に午後3時前に着きました。

 

 大学着は3時半。大学事務課のメールボックスには書類が山になっていましたね。これから日常(?)に戻って、仕事を始めます。

実家修繕作業

 実家に帰っています。帰る度に気になっていた個所があったので、今回は修善作業の時間もとりました。

 

 まずはホームセンターに行き、物を調達。その後、作業。外は生憎の雨で窓も開けられず、ちょっと蒸し蒸しする中での作業。

 

 障子の張替えは、1ヶ所は完成させたものの、もう1ヶ所は障子紙の不足で実施できず。サイズが合わず、紙は残っているのですが、継接ぎになるので諦めました。

 

 張替えながら気がついたこと。亡くなった父が、昔ながらの糊付け法でしっかりとした作業をしていたことがよくわかりました。私は両面テープで貼る簡便な方法を選択。障子の枠もかなり痛んでいて、テープの接着が悪いですね。おそらくプラ補強障子紙の経年変化のスピードも早くて、また数年後には張替えでしょう...。

 

 数年後に、と自分で言っておきながら、このトシではちょっと考えてしまいます。有言実行できるように、頑張り(?)ます。

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