さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。(マルコ 1:40-42 新共同訳)
もしも、この病気の癒しが、神の御心であれば、、、という問いかけに対し、神の御子は、はっきりとお答えになります。
"I will." 「御心である。」
アーメン。全ての病いの癒しは、神の全く変わることのない御心です。
初めに、神が天と地を創造した時に、そこに病気はありませんでした。
「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ 5:12 新共同訳)
一人の人、即ち、アダムによって始めてこの世に罪が入り、その罪に対する刑罰、ペナルティーとして、死がこの世に入って来てしまったのです。義なる神としては、罪を大目に見ることはもちろん出来ないのです。
病気というものは、この罪に対する刑罰である死の一部なのです。神の創造の良いご計画の中には、死も病気もありません。ですから、創造の本来の目的の回復である贖いに於いて、病気の癒しというものは、極めてプライオリティーの高いものであり、贖いを実現する贖い主が、何よりも病気の癒しをもたらすのは、当然のことです。
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 「彼はわたしたちの患いを負い、 わたしたちの病を担った。」(マタイ8:16-17 新共同訳)
主イエスは、私達の全ての罪に対する刑罰、死のペナルティーを受け尽くして下さいました。ですから、死のペナルティーである病気を背負って下さったのは、言うまでもないことです。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」(イザヤ53:4 新改訳聖書)
キリストによる罪からの贖いの業を預言する御言葉に於いて、真っ先に語られ、"Surely" 「まことに」と殊更強調されているのは、キリストが私達の病気、痛みを背負って下さったという事実です。
実際、メシヤが肉の形をとられ、聖霊による油注ぎのもと行われた業の多くは、全ての病いの癒しです。
「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」(使徒の働き10:38 新改訳聖書)
もちろん、主イエスは、昨日も、今日も、いつまでも同じです。今日も、主イエスは、私達というご自身の体を用いて、力強い油注ぎのもと、全ての悪霊どもを追い出し、全ての病人を癒しておられます!アーメン!ハレルヤ!
そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。 それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」(ルカ7:21-23 新共同訳)
天の神から送られたメシヤですから、何よりも、天の王国の特徴を、この地上にもたらす者であるはずです。天国に罪はなく、従って死も病気もありません。ですから、まことのメシヤの特徴、その資質は、何よりも「全ての病気を癒す者」なのです。もちろん!そのメシヤの一部、メシヤの体である私達のミニストリーの最大の特徴は、全ての病いの癒しです‼️アーメン🔥ハレルヤ✨
2. 病人への深い憐れみと、汚れの清め
イエス様が癩病人に触れた時、Then Jesus, moved with compassion, stretched out His hand and touched him とある通り、主は、深い憐れみをもって、病人に御手を伸ばされるお方です。そうです、主は今も変わらず全ての病いを治すお方ですが、主は決して、癒しマシーンとなって、オートマティカルに人々を癒すのではありません。何よりも、深い深い憐れみ、その病苦を誰よりも理解し、ものの見事に、ご自身で背負われたお方です。
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5 新改訳聖書)
主イエスが受けていないペナルティーなどありません。ですから、今や私達は、完全に癒され、健康体です!ハレルヤ!
また、聖書では、癩病人の「清め」であり、「癒し」とは言っていないことに注目する必要があります。つまり、これは、死の「汚れ」からの「清め」なのです。
霊の目を開いて見ますと、先に指摘した通り、実に病気というものは、罪に対するペナルティーである死の一部です。私達人間は、罪のゆえに汚れてしまったのであり、その代表的なものが、聖書に所謂癩病なのです。
私達が馴染んでいる人権意識からは理解出来ないことですが、これを「汚れ」と、断ずることにより、病気に対する神の姿勢を理解することが出来ます。
私達は、イエス様のスピリットに於いて、病人には、限りないシンパシー、同情心、同じ思いを持つように導かれている一方で、病気そのものに対しては、妥協せず、断固として、その存在を許容しないのです。繰り返しますが、全ての病気に対して、愛❤️の神の御心は、癒し一択です。アーメン。
3. 囚われた人々を自由にする油注ぎ
さらに、聖書の言う癩病の特徴として、宿営から離れなければならないという点があります。病気は、ある程度を超えると、一般社会から隔離され、家族からさえも引き離されてしまうのです。その精神的苦痛は、大変なものがあります。主イエスの今日も変わらぬミッションは、私達を通して、そんな深い悲しみと諦念とため息の日々に終止符を打たせることです‼️アーメン‼️アーメン‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️ハレルヤ‼️ハレルヤ‼️
The Spirit of the Lord is upon Me, Because He has anointed Me To preach the gospel to the poor; He has sent Me to heal the brokenhearted, To proclaim liberty to the captives And recovery of sight to the blind, To set at liberty those who are oppressed; To proclaim the acceptable year of the Lord.(Luke 4:18-19 NKJV)
日本語には訳されていませんが、主イエスが油注がれ、私達が今日、その油注ぎに与かっている一番の理由は、to heal the brokenhearted であり、囚われている人々をその孤独な牢獄から自由の身とするためです!ハレルヤ!アーメン!
〜それゆえ、ヤハウェである主はこう仰せられる。今わたしはヤコブの捕われ人を帰らせ、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わたしの聖なる名のための熱心による。(エゼキエル39:5)〜
(「癩病人の清めシリーズ」まだまだ続きます。)
最新「4.20 らい病人のきよめ 祭司の宣言」 「4.17 恵みを知る」など、浦和祈りの家や安息日礼拝メッセージはこちらから聴く事が出来ます♪
〜見よ、わたしはすぐに来る〜
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