大祭司イエス様と注ぎかけの血(前編) | アリエル ミッション

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アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血(ヘブル12:24)

次いで、雄牛の血を取って、指で贖いの座の東の面に振りまき、更に血の一部を指で、贖いの座の前方に七度振りまく。 次に、民の贖罪の献げ物のための雄山羊を屠り、その血を垂れ幕の奥に携え、さきの雄牛の血の場合と同じように、贖いの座の上と、前方に振りまく。 こうして彼は、イスラエルの人々のすべての罪による汚れと背きのゆえに、至聖所のために贖いの儀式を行う。彼は、人々のただ中にとどまり、さまざまの汚れにさらされている臨在の幕屋のためにも同じようにする。」(‭‭レビ記‬ ‭16:14-16‬ ‭新共同訳‬‬)

1. 神と人との関係を取り持つ

しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル7:25 新改訳聖書)

主イエスは、いつも生きておられますが、それは、執り成しのためです。主イエスは、執り成しをするために復活しました。
主イエスが執り成しておられるので、神と私達との関係は、完全完璧です。アーメン!ハレルヤ!

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ―私は真実を言っており、うそは言いません―信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。」(1テモテ2:4-7 新改訳聖書)

アーメン。確かに、神は全ての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます!

そうです。神は唯一です。そして、この唯一のまことの神と私達人間との間を、執り成し、仲介する者もまた唯一であり、それこそは、私達の主イエス・キリストです。

なぜなら、主イエスは、全ての人の贖い、即ち解放の代価として、ご自身をお捧げになったからです!アーメン!ハレルヤ!

完全なる仲介者であるイエス様のおかげで、神と私達との関係は、完全完璧です。これぞ、永遠に変わることのない真実、つまり、永遠の事実です。そして、この完成された恵みは、やはり、霊的な事柄ですから、ただ私達の信仰を通してのみ、リアライズされます。

信仰は、聞くことからとある通り、私達は、聖書の言葉から、大祭司に関する御言葉を聞くことにより、信仰を確立することが出来ます。
御言葉こそは、揺らぐことのない土台です。

「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」(ヘブル4:14新改訳聖書)

私達の信仰の告白は、決して空虚なものではありません。なぜなら、私達のために、神と私達との関係を永遠に確立した大祭司がおられるからです!

For every high priest taken from among men is appointed for men in things pertaining to God, that he may offer both gifts and sacrifices for sins. (‭‭Hebrews‬ ‭5:1‬ ‭NKJV‬‬)

「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。」(‭‭ヘブライ5:1‬ ‭新共同訳‬‬)

大祭司は、for men とある通り、私達の利益のために to God 神に仕える者です。

2. 永遠の解放を実現

「以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。すべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます。したがって、この大祭司も何かささげる物を持っていなければなりません。」(ヘブル8:1-3 新改訳聖書)

主イエスは、大祭司として復活し、ご自身の命の代価である血を御前に捧げました。

「この幕屋はその当時のための比喩です。それに従って、ささげ物といけにえとがささげられますが、それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。」(ヘブル9:9 新改訳聖書)

かつて、大祭司は、年に一度だけ、聖書暦第七月十日の贖いの日、ヨーム キプールに、会見の天幕の至聖所にまで入り、御座を現わす契約の箱に向かって、血を七度降り注ぎました。
この七回血を降り注ぐというのは、七箇所で流されたキリストの血を指し示しているのと同時に、七、即ち、完全な捧げものであるキリストの血、キリストの血の完全性を現わしています。

ただし、当時の動物のいけにえは、実体であるキリストの血を前もって現わす預言的なものですから、捧げる者の良心を完全にすることは、到底出来ません。

ヨーム キプールのヨームは、「日」day という意味で、キプールは「覆う」という意味です。つまり、この日は、イスラエルの民の罪を、とりあえず、カバーしておく、覆いをかけただけで、罪は、そのまま残っています。ですから、当然、捧げる者の良心は、全うされず、心の底からの安息は得られません。

「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブル9:11-12 新改訳聖書)

主が復活された朝、主は、マグラダのマリヤに言われました。

イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」(‭‭ヨハネ20:17‬ ‭新共同訳‬‬)

同じ日の夕刻に、主は、弟子たちに現われて言われました。

そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。‭‭(ルカ24:38-40‬ ‭新共同訳‬‬)

さあ、わたしに触ってよく見なさい!と。朝は、Don't touch me! で、夕には、Touch me!
一体、何があった?もちろん、主はレビ記16章にある通り、ご自身が流された血を、如何なる方法でかは、分かりませんが、確かに集めて、その血を携えて、天の御座に捧げたのです。

血が捧げられる前は、私達は、神聖なものに触れることが出来ませんが、ひとたび、血が捧げられれば、私達は、神聖なものに触れることが出来ます‼️ハレルヤ‼️

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」(ヘブル10:19新改訳聖書)

主イエスは、大祭司として復活され、ご自分の血と共に(with His own blood)‭‭ ただ一度だけ、天の至聖所に入り、この命の代価である血を御前に注ぎかけ、永遠の(‼️)贖い、即ち、解放を実現しました‼️ハレルヤ‼️ハレルヤ‼️

もはや、動物の血で、とりあえず、一年にいっぺん、カバーしておくというものではありません。永遠の贖いが実現したのです。

新約聖書で、贖いと訳されている言葉は、λύτρωσις(lutrósis)名詞、λύτρον (lutron)動詞というギリシャ語で、語源は、λύω(luó)で、「解く」「ほどく」という意味です。ですから、新約聖書では、贖いとは、即ち、解放のことです。キリストの血によって、罪からの永遠の解放が既に実現しているのです‼️
アーメン‼️凄まじい恵み‼️凄まじいばかりの赦しです‼️

(続く)


「4.29 大祭司イエス様と注ぎかけの血」など、浦和祈りの家や安息日礼拝メッセージはこちらから聴く事が出来ます♪


〜見よ、わたしはすぐに来る〜

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