The pictures of The Bride 花嫁の姿とサラの信仰 | アリエル ミッション

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1. 花嫁の写真


「こんにちは♪お久しぶりです!」

いつも来てくださっているヘルパーさんが、息子さんの成人式の関係でお休み。代わりに二日ずらして、Aさんが来てくださった。


前に来てくれたのは、去年の夏前だっけ?半年振り?元気だった?と聞くまでもなく、明るく元気そうなAさん。彼女は、二十代半ばで、うちの長男と同じ年です。

久々なので、いろいろと話しが弾む中、結婚して未だ一年ほどの彼女の結婚式の話しになる。

「コロナのせいで延び延びになっていた式が、やっと去年の十二月に出来たんですよ!」

「それは良かった!改めておめでとうございます!そうだ、結婚式の写真でもあれば見てみたいな。」と、さりげなく頼んだら、

「ぜひぜひ!見てください!」と快諾してくださった。一通り仕事を終えた後で見せてもらうことに。
Aさん、家に来たのは久しぶりなのに、ほぼ完璧に作業の手順を覚えていて、さすが正社員!
夕飯に作ってもらった出汁巻き玉子と、豚汁は美味しかったです♪ここのところ、連日連夜、コンビニ食だったので、実に有り難い。

さて、仕事が一段落したので、彼女のスマホに入っている写真を見せてもらった。

「うわー、綺麗だなー!」

と思わず第一声を上げてしまう。

「Aさんて、美人なんだねー!」

と失礼なことまで発言してしまいスミマセン!
確かに、普段お会いする時は、ヘルパーさんの作業服姿に、時節柄大きめのマスク、そして無造作に髪を後ろに束ねているという仕事の姿なので、最高の花嫁姿と比べてはおかしいのだが。

白無垢の花嫁姿は純粋に美しく、若くて真面目そうなご主人と一緒に写っている絵は、どれも眩しいほど!
しかも花嫁がどの写真でも最高の笑顔で写っているのが、見ているこちらまで幸せな気分にさせてくれる。いつまでもお幸せに!

素晴らしい写真を見せて頂いたお礼というわけではないが、押し入れにしまってある私の学生時代などの写真が入っているアルバムを見ていただくことにした。そのアルバムには、私の洗礼式の写真もある。

Aさんのお陰か、昨晩は、知り合いの結婚式の司式をなぜか、急遽二つ続けてしなければならなくなり、慌てているという不思議な夢を見てしまった(笑)。

そして、今朝、思い浮かべた御言葉は、もちろん、次の聖句である。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:25-28 新改訳聖書)

今、確かに私達に、主ご自身から、御言葉(レーマ)による聖霊の洗い清めの水が臨んでいる。
それは、私達を文字通り「しみ」だの「しわ」だのといったアダムの罪による堕落の痕跡だにない、グローリアスな花嫁として、ご自身の前に携え上げるためである❗️ハレルヤ‼️

Aさんが来て、その麗しい花嫁の最高の写真を見たのは、もちろん決して偶然などではない。私達が皆、主イエスの再臨に向けて、確かなご計画の内に在ることを、その霊の内に悟るためである。

私たちはキリストのからだの部分だからです。「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。(エペソ5:30-32 新改訳聖書)

主イエスが言われる通り、夫婦は「もはや二人ではなく、一人」(マルコ10:8) である。神が結び合わせたものを、人が引き離してはならない。

On hearing this, they were baptized into the name of the Lord Jesus.


「これを聞いて、彼らは、主イエスの御名の中へとバプテスマされた。」(使徒の働き19:5 直訳)


私達は、バプテスマの日に、主イエスの御名の中へと沈められた(または、漬けられた)のだ。もう自分の名ではなく、主イエスの名によって生きるように、と。

花嫁の写真に、洗礼式の写真を同時に見て、今日聖書暦11月11日は、再スタートを切るのに、実に相応しい日である。


2. 子を産むサラ


信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。(ヘブル11:11 新改訳聖書)


ヘブル書十一章の信仰列伝の一員に当然の様に加えられているアブラハムの妻サラである。「信仰によって」と書かれているのだが、実際に聖書を読んでみると、えっ?そんなに信仰あったっけ?という気になる。

サライはアブラムに言った。 「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」 アブラムは、サライの願いを聞き入れた。(‭‭創世記‬ ‭16:2‬ ‭新共同訳‬‬)

と、ハガルに子を産ませるよう言い出したのは、サラの方だし、いざ、ハガルに子ができた後、女主人を軽んずるようになると、逆ギレするかのように、

「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」(‭‭創世記‬ ‭16:5‬ ‭新共同訳‬‬)

と勝手にブチ切れるし、名前を夫婦一緒に、アブラハム(諸国民の父) 、サラ(国々の母) と改名し、再スタートした後も、「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」(‭‭創世記‬ ‭18:10‬ ‭新共同訳‬‬) と、わざわざ、主ご自身が自分の家まで来て、はっきりと預言してくださったというのに、アーメン!ハレルヤ!と叫ぶかと思いきや、

「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。」(‭‭創世記‬ ‭18:12‬ ‭新共同訳‬‬)

ということなのだ!どっちかって言うと、サラは不信仰じゃね?と思えてしまうのだ。

しかし、結論はご存知の通り。

「主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、 彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。」(‭‭創世記‬ ‭21:1-2‬ ‭新共同訳‬‬)

アーメン。

主ご自身が約束通り、彼女を顧みて、ご自身の約束通りに導き、その身体も瑞々しく若返らせ、子を産ませたのだ。
百パーセント主の御業である。その間に起きたありがちなゴタゴタなど、全部良きに変えてしまうのだ‼️
だから、ヘブル11の11はそのまま、アーメンです‼️

「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」(‭‭ゼカリヤ書‬ ‭4:6‬ ‭口語訳‬‬)

信仰とは決して、私達がシャカリキになって、身を削り、品行方正になるようなことではない。
キリストの血によって実現した神の義のゆえに、神のスピリットご自身が、私達の身に働きかけてくださるのを知ることである。

つまり、、、未だ新婚のAさんだけでなく、その親世代である私達も実は現役バリバリということです‼️(もちろん、私達の親世代の方々もですよ!)

というわけで、、、

3. ユダヤ人を妬ませる


「では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。」(‭‭ローマ11:11‬ ‭新共同訳‬‬)


今から、私達を通して、御子イエスの栄光が顕わされ、それはユダヤ人をはじめ、最も頑なな人達をも妬ませるものとなります‼️

主は、今日、はっきりと私達に語られます。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒の働き18:19-20 新改訳聖書)

アーメン‼️さあ、エルサレムへ‼️


聖書暦5782年11月11日に




♪浦和祈りの家の礼拝メッセージは以下のドライブから聞くことが出来ます。

〜見よ、わたしはすぐに来る〜

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