痛みはみんな主観 | クラニオセイクラルな日々-あたまをさわれば幸せになる

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大阪市淀川区西中島かなや整骨院院長のブログ

ココロに効く、カラダに効く、クラニオセクラル・セラピー

当たり前の話なんだけれど、痛みというのは人それぞれで感じ方が違う。ちょっとしたケガで七転八倒する人もいるだろうし、どう見ても重症なのに涼しい顔で過ごしている人もいてる。腰痛でよく言われることなんだけれど、画像所見と患者さんの訴えというのは必ずしも一致しないらしい。レントゲン所見を見て、「異常ありません」と言って相手にされなかったという話はよく聞くけれど、患者さんの愁訴と画像診断の所見が一致しないということも割とあるらしい。「これは痛いだろうな」という所見が画像で見つかっても患者さんは全然痛みを訴えないというのもよくあるんだって。

 

痛み(に限らずすべての愁訴?)が主観的なものであったとしても、医療はサイエンスであるからそれを客観化しなければならない。そこで例えばペインスコアなんてものが存在する。どんなものかというとね、現在の痛みを5段階評価すると「1かなり楽」「2ちょっと楽」「3まあまあ」「4少しいいがまだまだ悪い」「5ものすごく悪い」までのどこに相当するかを患者さんに答えてもらう。

 

たとえばリハビリテーションの術前術後でこれを行って記録しておくと、リハビリの効果?を評価することが可能になる。ただし2,3,4の区別なんかオレでもよくわからんけどな。世論調査みたいなもんか。それで笑ってしまうんだけれどこれを記載する理由が、「リハビリテーション中の患者のカルテが白紙になるのを防ぐことができる。」なんだって。これ、整形外科のプライムケアの専門書の文章よ。

 

結局のところ患者さんの主観を頼りに漫然と行われてきたのが痛み領域のリハビリということになるんだろう。まあ、健康保険を使って毎日のように同じ患者さんに施術している柔道整復師も似たようなものなのだけれど。だからこそ「どうせ治らんのだから安いほうでいいやん」という理由で長らく柔道整復師の施術が野放しになってきたことは想像に難くないね。

 

閑話休題。オレが何を言いたいのかというと、現代医学でも補完医療でも患者さんの訴えをきちんと聞くシステムができていないということ。患者さんの言うままに無意味な治療を続けるのは誰の得にもならない。おそらくアプライドキネシオロジーなんかがその辺の問題についての解決法なんだろうけど手順が煩雑すぎるように思う。

 

もっと雑なやり方なんだけれど、例えばギックリ腰の人の鎖骨の下を丁寧に触診してみると強い圧痛がある。施術を続けて腰の痛みが改善してくると、鎖骨下の圧痛も減弱してくる。逆に鎖骨下の圧痛を手技で処置してみると腰痛の治りが早いのよ。この圧痛、心身がストレスを感じると発生するらしい。ストレスが限界にまで達してギックリ腰になったのか、腰を傷めて思うように動けないことがストレスになって、鎖骨下に圧痛を生じるのか。どっちが正解なのかオレにはわからない。両者の鑑別も今のところ難しい。

 

ただ、鎖骨下の圧痛をモニターすることで腰の痛みの程度を患者さんと共有はできる。あくまでも患者さんの主観であることに変わりはないけれど、それを鎖骨下の圧痛に置き換えることで、初見時の腰の痛みがどのくらい強いか、それが施術でどのくらい改善してきたかを術者も感覚として共有できたりするのよ。この評価法は痛みだけでなくほかの症状にも応用できるのだけれど、次回大阪でやる腰痛セミナーでちょっと話してみるつもり。