サイレンの音に怯える東京人 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2019年 7月30日

一日本人の回想30 東京の思い出 1

東京には10年くらい居た。

思い出は幾らでもありそうだ。

就職した会社の屋上に音楽の出せるサイレンがあった。

話に聞くと、東京の人はサイレンで怯えるのだそうだ。

色々聞いてみると、戦争で殆どの住宅は焼けたそうだ。

その悲惨なことは、小都市には無い凄さであったらしい。

記録等では、終戦の年の3月10日にアメリカの焼夷弾爆撃が有ったようだ。

下町にである…。

B29三百数十機、焼夷弾数十万発、深川方面にばら撒いたので、一斉に火が付き、一夜のうちに全焼した様である。

アメリカ人は、

「日本は神(紙)の国、だからマッチ一本でも燃えてしまう」

と言っていたそうだ。

それにしても爆撃の大げさなこと。

B29は2~3機で、焼夷弾は数十発でも同じではないか…と私は思う。

その火力の強さは、火事の数百メーター先を逃げる人の服や道具に火照りで火が付くほどであったそうだ。

多くの人は、体が燃えながら隅田川へ走ったそうだ。

死亡者10万人だそうだ。

その悲惨さは、経験者にしか分からないかもしれない。

サイレンに対する東京人の怯えが分かった気がする。


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