天使について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 2月15日

私は今迄に天使を見たことはない。


正確には「ダブリュー」と名乗る天使と一度逢った事はある。

私の散歩中、向こうから歩いて来て、私に挨拶をして突然、面前から消えた。

私は彼を天使長ガブリエルと思うが…。

しかし天使の存在を時々は感じる。

昨年、体力が落ち、もう死ぬかと思った頃、神様は言われた。

「あなたには沢山の天使がついている」

しかしそんな感じは全く無かった。

つい最近、2月1日に幻を視た。

広い道路を私が走っていた。

かなり懸命に走っていた。

左右には数十人の人が同じように走っていた。

私が疲れてうずくまると、どっと私を取り囲んだ。

彼らは間違い無く、私の危機の時に現れる天使集団である。

天使は正しく神の使いであって、個人を名乗らない。

要求しない。

礼拝や感謝を求めない。

それは神の一部であるからだ。

私も天使に対して物を言わない。

只、明らかに天使の存在を感じる時、

「ありがとう」

と言う事はある。

幻を視て必要な時、天使に命じる事もある。

イエス様も同じである。

殊更に御自分に礼拝・賛美を求めない。

神様とイエス様は別々の存在ではない。

彼にした事は神にした事と同じであり、彼の喜びは神の喜びでもある。

私は聖霊と天使は同じであると思っている。

個別な判断をするのは三次元の世界の事で、神の次元では一つと三つの区別は無い。

世間では、守護霊とか守護神とか背後霊とか云う言葉があるが、成る程と思う。

天使や霊は人の目には見えないだけで、人が生まれる時から付き添っていると思う。

他人の事は知らないが、私の為の天使集団に何とか加わろうとしている霊がある。

しかし私が選択する事は出来ない。

もうかなり前の事であるが、ハワイのホノルルで一人の天使が集団に加わった。

私は彼に左肩の天使と云う名前を付けた。

もう春であったが(私は寒がりでハワイは冬しか行かない)、どうしても行かなければならないとの気がしてハワイへ行った。

帰る少し前の日、いつもの様に大きい公園を横切って海岸へ行った。

私の周りには誰も居ないのに何分間も私の後ろに誰かついて来る気配がしたので、振り返り、振り返りしながら歩いて行った。

最後に左肩をトントンと叩くので、慌てて見回したが、誰もいなかった。

そのトントンは一日何回もあり、多分何ヶ月も続いた。

それにしても、何でハワイなのか。

日本では駄目なのか。

今だに判らない。

今日の内容はかなり重要な部分があると思うので、確認のため、さっき祈りに出かけた。

(父よ、これでよろしいか?)

と。

一時間、返事が無かった。

私に責任なし。


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