教会の教職者について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2022年 7月24日

今は午前3時、眠れないのでこれを書いている。

私が優雅に生活しているのは、教会の言いなりにならなかったからであったと思っている。

教職が語るのは建前であろう。

行動は別である。

聖書にも書いてある。


その時、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。

「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないを真似てはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。」

(マタイの福音書23章1~3節)

現代でも同じようだ。

指導者は本心を語れない。

教義がメチャメチャになる。

老人は経験が豊富で、私にも多くの経験がある。

昔、東大阪に東洋の福音と称する教会があった。

そこには沢山の神学生がおって、我が家にもバイトで来ておった。

ある時、一人の神学生が我が家に通勤途中で、交通事故に遭った。

途端に、教会はその学生から手を引いた。

病院には、田舎の母親と私たちだけが見舞いや付き添いに行った。

日頃、「教職は神の代理である」という風に叫んでいたはずだが…。

現実は、「役に立たない人は信者でもない」という態度であった。

その神学生は、退院して親と共に田舎へ帰った。

信仰はどうなったのか。

その後、連絡はない。


もう一人。

会社の従業員の一人が急病になった。

それは、韓国の牧師さんが来て大阪の体育館でクルセードを行うとき、急遽、冷房工事をすることになり、私が命じて冷房機を運ばせて、急病となった。

命が危なくなったので、韓国の牧師さんに癒しの祈りをお願いした。

返事は、

「先生は個人的には祈らない。」

であった。

その牧師のために命懸けで働いた結果であるのに、その対応には全く失望し、その従業員は教会に来なくなった。

教職を批判しているが、皆んなその立場になったら、同じようになるかも…。

でも、行動は本心に近いと見ている。


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