2020年 9月5日
私は、百年後には生きていない。
自分の為に、この記事は書いていない。
何代もの子孫の為にも、書いていない。
これを書く事が、私の仕事、役目、義務の様に思って書いている。
「これでよろしいか」と絶えず神に祈りながら。
神様が、百年後の人類に読ませようとするのであれば、百年後にも人類は残っていると言うことか…。
幼児的な知恵で詮索はやめよう…。
人類は何千年の前から、もう世の終わりを言ってきた様である。
生物の何分の1でも滅びたら、終わりと言えるかも…。
でも、残るものは残った様だ。
丁度、幼児が危ない橋を渡っていて、科学的にもあと何時間で落ちると言っても、幼児の両側を、忍び姿のガードマン、天使が支えていたら実現しない。
天地創造の神は、この星、地球を簡単には滅ぼさなかった。
それは、神にとっても宝であったから…。
人類は、それを良い事に傍若無人。
神様は、いつの世にも修正をされた様である。
現在、神様は言われる。
いや、叫ばれる。
「この世界は私のものだ。人間の勝手にはさせない」
と。
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