2021年 10月10日
いま昔を振り返り、神様に感謝をしている。
何でこんな人生だったのか、とても偶然とは思えない。
神様の働きがなければ、これは話がうますぎる。
本心からの願いでなければ、神様は働かない。
本心とは、行動を見ていてわかる。
口では信仰を告白して、教壇では教えていても、その行動が反対では、嘘の信仰になる。
昔のことになるが、教団本部からの依頼で、教職に保険を掛けたいから信者に幾らか出して欲しいとの事。
牧師たちは、今は元気であるが、やがて歳を取り、病気になった時、保険が必要であるとのこと。
それは今では立ち消えになった様だが、中国のクリスチャンが聞いたら仰天するだろう、特に地下教会では。
「神様は将来も現在も、死後さえも頼りになる方である」と、教壇から絶対のように教えていたのではないか。
でも現実には、保険如きをあてにしている。
信者に絶叫していた事は嘘なのか。
私は信仰によって、土地を教会に貸していた。
無料で、30年間も。
教会の建て替えで、教団は、将来何十年間も無料で貸すことの契約を求めてきた。
私は拒絶した。
30年も続いた神様への信仰をを無視して、人間との契約を要求する。
教団の信仰とは何なのか。
こんな不信仰な教団に、神様はどうして働くのか。
こんな宗教団体は、現在でもあるだろう。
神様の嘆きが、分かるようだ。
また、多くの教職と悪魔の合唱も聞こえてくるようだ。
「あなた方の信仰はこんなものだ、現実を見なさい、現実を」と。
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