将来の筋書 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 5月9日


今日も又、本当に驚いた。

今日神様は私に、

「これから起きる事の筋書を書きなさい」


と言われた。

この処かなり霊が回復して、毎日の祈りは、

「今日あなたの思いが完全に行われます様に。どうぞ私の生命を使って下さい」

であった。


そして、



「私の生命は捧げた時からあなたの所有ですから、どうぞご自由に」

それなのに神様は、多くの人を含む将来の事を私に決めさせようとされる。

私は神様の僕に過ぎないのに。


さあ聖霊と共に筋書を書こう。


ずっと前、神様は私に天国を見せて下さった。

そこでは何百万の天使が神の栄光の光(顔)をじっと見ている。


神の思いが現れるのをじっと 待っている。


そして現れた瞬間、天使は行動を起こす(聖書のベテスタの池の水を見ている病人の様に)。


時々フライングの天使もあって、早とちりである(これはわたしの想像)。



とに角、天使も何百万人の内の一等になる為には大変である。

私と聖霊が書いた筋書を神様がOKと言って下されば(私はいつも云っている。神様が指をパチッと鳴らせば天使は飛んで行動を起こすと)、不思議が起こって多くの人が驚くでしょう。


しかし神様の思いが先ず行われます様に。


そして栄光が現れます様に。





2007年 5月13日


いやー、大変な事になった。


4、5日前、神様は、


「これから起きることの筋書を書きなさい」

と云われた。

すぐに思った事は、これは面倒な事になる(私の願いは神様が何としても行い度い事の実行であるから)。

(神よ、あなたの思いが行われます様に)

と返事をした。

しかし後で考えたら、これは失礼な事ではないかと壁のホワイトボードに思い付くまま書き出した。


今朝迄、下記の通りである。



1、窓から見える100万㎡の緑地に日本人村を作り1000人を住まわせる。

2、1万人の日本人と10万人の外国人に神の伝言をする。

3、1000人の中国人の子供に英語を教える(去年は小学校で1クラス教えていた)。

4、救霊会館(教会)を建替える(30億円)。

5、悪霊を追い出す力を受ける。

6、いやす力を受ける。


この2、3日、色々考えていたが、前記のどれが実行されても私がノータッチではすまされない様である。

そうすると、私の本来の職務である神との会話は難しくなる。これを犠牲にして何かを求める気はさらさら無い。

今朝起きて直ぐ思った。これは全部返上しよう。


そして祈りの散歩に出掛けたが、内なる聖霊は悲しんでいる。


私は聖霊に言った。

(何が悲しいんですか。はっきり云って呉れないと判らないではないですか)

それで散歩の帰りがけ理由が判った。


私が神様の命令を返上したからである。


去年2006年1月1日の日記を思い出した


今見ると、下記の通りである。


(原文の通り)

「1月1日。これからすごい事になりそうな予感。海南島に来てから全く考えた事もなかった。

1980年1月1日の啓示から26年ぶりである。私の幼少からの能力、霊の力、これを働かせる時が来た様だ…。

キリストと共に神の子としての能力、権力の行使は、私の若い頃、何年かは確かにあった。その頃、神様の云われた言葉は疑わなかった。

神様の私に対する取扱いは私の霊性がどの様であっても全く変わらなかった。

例えば、

「天に命じて雨を止めさせなさい」

と言われた時は、とてもそんな霊性では無かった。

さあ、若い時の様に単純に神の言葉を信じて実行しよう。

若い時より現在の方が、ウンとやり易い事は沢山ある。

今、悪魔は言っている。

「あなたはそんな柄か。現実を見なさい、現実を。」




2007年5月17日


この処、祈りの内容は、

「イエス様、あなたは何をして欲しいですか。どうしたらあなたの泣き声は止まりますか」

であった。

私は今、これから起きる事の筋書を作らなくてはならない。

色々考えたが、結局、イエス様の希望通りに筋書を書こう。

只一つ、私には瞬間移動の能力を与えて欲しい。

今日、朝食を取りながら、

(こんな能力は天地始まって以来かな)

と思っていたら、教える霊あり。

「昔からある神隠しは、皆んなそうだよ」

云い方からして近親者くさい。


今日散歩の帰り道、又昔のことを思い出した。

1990年頃、大阪(日本)の地下鉄の中で、前の席に座っていた男の口ひげをまじまじと見ていた。

非常に立派なきれいな口髭である。

梅田駅近くになって、その日の集会の事を思い出し笑ってしまった。

駅に着いた時、その男は私の腕をつかみ、こう云った。

「おっさん、今笑うたやろ。俺の事務所へ来い!」

そして私を引きずり降ろそうとした。

私は何の事やら判らず、柱をつかんで抵抗していたら、その男は血相を変えて電車から飛び降り、ホームを脱兎の如く逃げて行った。

明らかに何かを見た様である。

何を見たのか私には判らない。

この男に聞くのが一番だが、この人の知り合いがあったら一度聞いて呉れませんか。

この人は漫才師で大柄な男、相手は小柄で野球の名前で現在未だ存命だと思う。

私はこの漫才師だと思っているが…。


今日のレポートは小さい仕様もない事の様に思うが、神様は小さいと思っているか判らない。

これを書かないと明日出て来ない恐れがある。


昨年9月に云われた神の言葉が、今日成就した。

「あなた自身が変る為、神は悪魔にあなたを苦しめる事を許された」

昨年の私であったら、もし神様が

「これから起きる事の筋書を書きなさい」

と云われたら、自分の希望や欲望を書き並べたであろうが、現在私は変わった。

まず、神様の思いを考える。

だから神様はこれを云われたのであると思っている。






2007年5月18日


今日も又、先日云われた神様の命令を考えている。

考えれば考える程結論は出ない。

将来の筋書等、安易に書けるものではない。

その結果について、決めた人は責任を取らされる。

何ゆえ神様は私にその様な事を云われるのであろうか?

私自身についてだけで良いのだろうか?

いやそうでは無い様だ。

聖霊拒絶、頭の中が空白になる。

昨日はイエス様に、

「あなたは何をして欲しいですか」

と数時間も祈ったが、返事はなし。

それでこの宿題は当分保留かなと考えている。


又、昔の若い時を思い出した。

神様が私に、

「わたしに従って来るとあなたは殺されるが良いか?」

と云われた時、私は返事を延ばしに延ばした。

結局は何の返事も出来ず、

「もうどうにでもして下さい」

が私の最後の返事であった。

今日、朝暗い内からベランダで祈っていたら、昔のイエス様の悲痛な叫びの記録を思い出した。

早速パソコンで探しプリントをした。

下記の通りである。


神様との会話1

2000年 10月24日

午前1時、神様が聖徒に対する嘆きの言葉(内なる聖霊の嘆き)


「子供達よ、あなた方は私が人よりも大きい事が出来ると信じないのか。

その信仰はあるのか。

幼子がその親に対する様に期待しないのか。

人の生命が私の決定権の内のある様に、その将来も又、私に決定権がある。

将来について何故、私に相談しないのか。

私の許可は必要ないのか。

将来について希望し、私に願い、あるいは計画を立てるのは結構である。

私の働き場所はどこなのか。

人には出来ないが神には出来ると言われる場所はどこなのか」



日時不明

イエスは言われる。

「働きたい、働きたい。私は働きたい。子供達よ、私の働き場所は何処なのか。」

イエスの霊は誰かの所に住みたがっている。

二千年前と同じ業(わざ)を行う為に。

使徒時代、主の業が行われた。

だから今でも同じ事は出来る。

“我今生きるに非ず。キリストわが内にありて生きるなり”

と言える人が現れたら、その人はどこにいるのか。


そして今日の祈りの散歩で判った事は、昔、若い頃、神様がその思いを私にぶちまけ様とされたその続きを今させようとしている。

約50年あとにである。

会話の続きを50年あとにする様な事は人間の世界にあるであろうか。

もしかして私を人並の年令迄生かす為、会話を中断されたのであろうか?

今なら殺される結果になろうと、この枯木のような廃車のような肉体は、何の未練もない。

昔、神様は私にこう云われた。

「彼の命はあなたの手の内にある。あなたには大権を与えよう」

「彼」とは、その時私を憎んでいた人である。

しかし私はその時知っていた。

もし私が、

「彼は生きるべきで無い」

と云えば、彼は死んだかもしれない。

しかし私も只では済まない。

学生の頃スキーの合宿で前夜、私と神様の事を罵った級友は、次の日、立木にぶつかって即死してしまった。

丁度同じ時間、別の場所で私は立って居られない程の目まいにおそわれた。

級友の死は後で知った。

どんな聖人であっても、モーセの様な重要な人間であっても、大権を持って(神の権能)人の死を求める人間を神様は許して置かない。

もし私が他人の命を求める様な事を筋書の中に書けば、多分神様はその人の命ではなく、私の命を取られる。

筋書の命令は、私には重たい責任が生じるからである。


この一通のレポートを読んで、普通の人は(教職を含めて)、悪魔の云う事、

「あなたはそんな柄か。現実を見なさい、現実を」

の方が数倍正しいと思わないだろうか?





2007年6月5日


いや又、今日も驚いた。

先日、神様は私に

「これから起こる事の筋書を書きなさい」

と云われた。

何日間も色々考えたが、結局、

1.神様の思いがこの地上で実行されます様に

2.イエス様の泣き声が止まります様に

3.私には神の為に必要な賜物が与えられます様に

この様に返事をした。

私に云われた神様の意図が今日判った。


神様は私の決定が判っていて、これを云われた様である。


目的は、私を祝福する理由を作る為。



神様はご自分の業(わざ)を行って、その結果について、

「これは彼の筋書きによるものである」

と、栄誉を私に与えようとされるのである。


こんなやり方で祝福の理由を作るとは、全く想像外であった。



最初から神様の言われる事は途方もない事だと思っていた。

しかし神様有難う。


あなたはご自分が受けるべき栄誉を子である私にも与えて下さった。


奇想天外な方法で。



この前迄は、「」瞬間移動の賜物を与えて下さい」と祈っていたが、良く考えて見ると、マスコミにもみくちゃにされ大変不幸な結果になりそうだと断念した



神様は私に、

「霊を利用してはいけない。賜物は乱用してはいけない」

と云われたが、今度賜物を与えられたら絶対守ろう。


今迄にも失敗した経験はたくさんある。



神様は今、私に賜物を与える為の理由作りをされている。



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