卒業試験 01/01
私が24、5才の頃、勤めていた会社の慰安旅行があった。
慰安旅行には行かない事が多かったが、その時はどうしても行きたかった。
多分、好きな女の子がいたからだと思う。
しかし、同じ日に短大の卒業試験が1科目あった。
それに合格しないと卒業出来ない事は知っていた。
色々悩んだ末、奥の手を出した。
慰安旅行には行っても、卒業試験は何らかの理由で取りやめにしてしまおうと決めた。
慰安旅行から帰って来て、級友に聞いた処、
「卒業試験は予定通りあった」
との事で、私は愕然とした。
(私のどんな願いでも父なる神様は聞いて呉れるはずなのに…)
然し、私の信仰は変えなかった。
4、5日後、通知があって、その卒業試験は何らかの理由でやり直しとの事であった。
試験を受けた級友達は大不満であったが、私は大いに喜んだ。
その本当の理由は、私の他に誰も知らなかった。
多くの人に申し訳ない気もした。
こんな祈りはするべきでは無いかとも思った。
それから20年以上も経ち、私の長男が大学受験する事になった。
京都大学が志望であったが、確実に合格する自信がないとの事であった。
第二志望は広島大学であったが、試験が同じ日であったので、どちらを受験するか 彼は迷っていた。
そこで私は言った。
「どちらかの大学の試験日をずらしなさい。そうすれば両方、受ける事が出来る」
長男曰く、
「又、お父さんは無茶苦茶を言って。日本全国の国立大学はAとBに分かれていて、試験日を変更する事は誰にも出来ない」
私は、
(人には出来ないが神には出来る)
…と思っていたが、長男は結局、広島大学を受験して合格した。
今思うのであるが、その時祈るべきであったと。
私の娘の方は、未だ余程信仰があった。
この子が短大を卒業した頃は就職難で、特に女性は、超氷河期と云われていた。
この子は小さい時から、「自分の望んだ事は必ず出来る」と思っていた。
就職の条件は「家から近くて、一流企業」という、人が聞いたら笑う様な話であった。
そして大阪千里中央にある東京海上一社だけを受験して、就職してしまった。
もし私が試験官であったら、絶対に選ばない様なわがままな子であったが…。
以上、三つの事を振り返り、神に対して持った信仰や自信は、この世ではあり得ない様な結果を生み出す事を…。
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→信仰とは
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