本当に長い間、どうしても納得出来ない事があった。
人が死ぬ時の苦しみは、一体、何の意味があるのであろうか。
何故、眠る様に死ねないのだろうか。
特に、一生を神に捧げた人々に対して。
彼らの多くは、他の人と同じように苦しんでいる。
この疑問は、私の三十歳代からの強烈な疑問であった。
何百回と神様に回答を求めたが、四十年近く何の返事も無かった(と思っていた)。
最近の二、三年間は、これを見過ごしに出来ない気持ちであった(特に神様の為に苦労している人に対して)。
04年 1月
もう神様の回答も助けも待ってはおれない、自分で出来る事をして彼らを助けようと決心した。
次の日の朝、聖霊は次の様に教えてくれた。
「すべての人の死の苦しみは、他人を赦し、憎しみを忘れる為の神から与えられた最後のチャンスである」
其の時、私は納得した。
肉体の苦しむ時、他人を赦す事が容易に出来る事を。
そして悔い改めし易い事を。
昔、ハワイで死ぬかと思う程の苦しみで、三日間寝ていた事を思いだした。
其の時、神様は言われた。
「正当に評価し、感謝する絶好のチャンスである」
と。
実際には、私は神様からの回答を何度も聞いていたのである。
【管理人のコメント】
三浦綾子さんの「光あるうちに」から抜粋を載せさせて頂きます↓
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