清らかな少年の私 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 3月12日

驚いた、驚いた。

今日の幻には驚いた。

以下、日記より


今、朝7時前。

不思議な幻を視る。

長椅子があって、左に老人の私が座っていた。

すぐ右に私に抱かれる様に10歳位の少年が居た。

一寸離れて右に(仕切りがあった?)非常に年老いた百歳以上?顔はしわくちゃで男女判らない人が座っていた。

私の前には30歳位?の女の人が私に向かって口をパクパクさせて、しきりに話しかけている。

しかし声は聞こえない。

良く見ているのだが、どうしても鼻から下しか見えない。

とても親しそうにしている。

隣の少年の顔をしげしげと見たのだが、私の孫かなと思ったが、少年時代の私自身であった。

非常に清らかな顔をしている。

今までに見た事はない。

そして私の前の女は私の母であった。

老人の私と少年の私が同席する為に、誰かが非常に歳を取った。

一体、誰なのか。

神様が私を選んだ理由が今判った。

少年の私は、抜群の清い心の持ち主であった。

もう非常に可愛い。

また会いたい(今聖霊の注ぎあり。そうだ、の意味)。

今、判った。

天国で神様の側にいる私は老人の私では無く、清らかな少年の私である。

そして、何十年間にも及ぶ私の疑問が解けた。

「人は死ぬ時、なぜ苦しむのか。何の意味があるのか?」

という問い。

死の苦しみがあれば、どんな悔い改めも出来る。

そして罪が無くなれば、少年少女の心に戻れる。

そして清らかな自分として天国に住める。

これは凄いチャンスであり、又、恵みでもある。


以上、日誌より。


2月になってから、神様との会話は順調であった。

3月初め、タイトルが「血と生命と健康」になったら、悪魔は猛烈に攻撃してきた。

前立腺の病気に便乗し、気が狂いそうな位悪い気分であった。

大声を出して走り回りたい位であった。

苦しみの為、神様との会話はしばらく休もうとも思った。

しかし、神様の方が強かった。

悪魔を追い出す力を与えて下さり、殆ど追い出した。

その祈りの中で霊の目が開かれ、色々な事が判った。

これは収穫である。

今日の幻は多くの人に伝えないと、非常に勿体ない気がする。

帰りたい。

帰りたい。

少年の私に帰りたい。

どんな事をしても、全財産をはたいても。

完全な悔い改めが出来れば帰れる事を私は知っている。



2007年 3月15日

2、3日前、私は少年時代の自分に幻の中で逢って来た。

非常に清らかで非常に可愛い。

孫も子も可愛いが、幼い自分は10倍可愛い。

今迄に数え切れない程の幻を視たが、これは初めてである。

救われて50年になるが、神様が愛する自分は老人の自分しか考えなかった。

勿論それもあるが、幼子の様な心になった自分は、神様からみて非常に可愛いのである。

この可愛い子の為に神様は数十人の天使を護衛につけ、危急の時には天の軍団を引き連れて駆けつける。

この理由が今になってやっとわかった。

神様はそうしなければ居れない程、幼子の様な人間が可愛いのである。

はた、と思ったのであるが、私も他の人も皆同じではないか。

先ず悔い改めよう。

罪の性質が無くなれば、幼い子の魂に戻れる。

神様が見て可愛くてたまらない、何としても自分の側に置きたい、その様な人間に誰でもなれる。

去年の秋、病気(サタンの攻撃)で苦しんでいた時、私は神様に言った。

(どうして、あなたは私を見捨てるのですか)

神様は直ぐ返事をした。

「可愛い子に、どうしてそんな事が出来るだろうか」

意味が今やっと判った。


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