2016年 11月28日
最近、死ぬまでの遣り残しの用事を思い出しては片付けているが、今日、身近なことを思い出した。
いつも出席している近所の教会で、もう何年か前から頼まれていた中国での証の件である。
「何人か集まり、時間が取れたらその内」
と言っていたが…。
とても近い内にチャンスは無さそうであるので文章で残す事にした。
話していたら3、40分になりそうであるが…。
中国では6年間滞在した。
その間、色々な経験が在りすぎて、大阪での数十年分にあたると思っている…。
私は若いときから冷え性で、70才で仕事を息子に譲ってからはハワイに住む予定であった。
50代では大阪の真冬は寒さではなく、通風のような症状であった。
それで何度もハワイへ避難していた。
ハワイでは2、3日で症状は全く無くなり、数日後、帰国したら2、3日でまた同じ症状になり、これの繰り返しを何回も。
その内、往復のフライトが苦痛となり、ハワイ移住は断念した。
ハワイでの気候を何とか創り出そうと、温風こたつを開発して国際見本市にも出品した。
多少の効果は有ったが、70才を契機としてフィリピンのバギオに移住しようと計画した。
熱帯地方ではあるが、高原であるので気候は良いとの情報であった。
知人の宣教師がそこに住んでいた事を思い出し、夜ではあるが、電話をしようと番号を調べていたら、神の大声があった。
「あなたは泣くイエスを放っておくのか」
全く予想外の言葉であった。
何の事かと考えあぐねたが、兎に角フィリピンはあきらめた。
神様は中国とは言われなかったが、それ迄に祈らされた地名に海南島もあった。
日本国内では数箇所現地へ行ってみたが、中国には行く気はなかった。
他に思い当たる所もなく、一ヶ月くらい考えて、神様には理由をつけて断ろうと思った。
何の手立てもしないのは気が引けたので。
兎に角、一度現地へ行く手筈をしてから、案内する人にそれは無理だと言わせようと、条件を十か条くらい書き出した。
例えば、体力的に車は数時間以上乗れないとか、列車なら何時間が限度だとか、あの広い中国なら到底無理な項目を書き出した。
私の知り合いの牧師さんが以前、海南島の宣教をしていたのを聞いたので、今度行く時はこの条件で行けるか話しておいた。
2、3ヶ月あと、
「一緒に行きましょう」
という返事があり、一度海南島を見て、それから神様に断っても良いと考えを変えた。
中国では数箇所を見て周り、神様に断る条件は全部クリアーし、私が思っていた中国とは大分違っていた。
結局、年末頃借りて呉れたマンションへ単身赴任した。
中国については本やネットでかなり調べたつもりであったが、到着した日から苦労の連続で、現地は寒く、朝まで震えていた。
まず言葉が通じない。
やり方が分からない。
電話のかけ方すら分からない。
買い物に行っても中国人は大声で喚くし、バスやタクシーも行き先が通じないので何度も降ろされるし、海外旅行は慣れているつもりであったが…。
食事も日本食は近所にはなく、慣れる迄は下痢続きであった。
その内、スーパーや市場での買い物も出来るようになり、市内見物も出来る様になった。
さて、神様は何を命じられるのかと注意はしていたが、何の返事も無かった。
子供相手に近所で日曜学校のようなことを始めたが、すべて親の反対で潰された。
それでは、と神の示された田舎に行ったが、これも潰された。
しかし諦めないで堂々と役場に行ったら、小学校と話をつけてくれた。
日曜日の午後、教室を借りて英語授業と漫画を1、2時間テレビで映すだけである。
これは日本語専攻の大学生が手伝ってくれた。
子供は教室一杯4、50人である。
子供の英語を覚えるのに早いこと。
歌いながら覚えている。
日本なら大学生レベルかと…。
段々と遠くまで出かけるようになり、バスで1時間乗ってもまだ市内である。
バス代は15円か30円。
日本のバスと殆ど同じ程度だが、料金は一割程度。
部屋代も食べ物も一割位。
只、輸入品は高い。
生活のためだけなら日本の五分の一かも。
色々な事をやったが、体重を下げる為の節食もしていた。
体力も無くなり、日本でも中国でも大病院で検査した。
どの病院でも処方は同じで、
「血圧が高い」。
日本の近所の医者は、
「太りすぎだから血圧が高い。もう少し節食した方がよい。」
それで私はなるべく食べないようにしていた。
倦怠感が強くなり、朝ベッドから降りるのもやっとになった。
(このまま死ぬのかな…)
と思った時、猛然と神様に噛み付いた。
「何の為に海南島へ来たのですか…!只、死ぬ為ですか!」
神は答えられた。
「あなたは食事を取っていない」
それで節食を止めたら、体力は回復し、体重も元に戻った。
栄養失調が原因であったが、それを見抜いた医者は日本にも中国にもいなかった。
神様の知恵には全く驚いた。
大病院も神には及ばなかった。
しかしそれを境にして、昔私が持っていた神との会話が再開した。
サタンの攻撃も激しくなり、何度も殺されかけた。
前後がハッキリしないが、省政府の前でのデモを写していたら、警察に逮捕された。
上官のいる部屋へ連れて行かれたが、私が日本人と分かると、うな垂れるだけ。
もう許しを求める態度である。
勝手に帰ってきたが、その時、昔見た幻が成就した。
中国で警察は私を逮捕してみたが、処置に困り勝手に帰らせたと…。
同じ幻である。
多分、十年以上前の幻である。
中国の教育大学と国立大学の日本語専攻学生の内、優秀な学生一クラスずつに、毎週日本語を教えた。
こちらは給料はタダで、正式な教員ではないので信仰の話も平気である。
密告があり上層部が調べても、私はキリスト教の役職についた事が無いので、宣教師には当たらない。
中国でも信仰は自由である。
しかし宗教活動は原則認められない。
神の命令で中国に住んでいるでは職業に該当しない。
日本でも通じないので、ある人達は私を宣教師と呼んでいる。
本当は神に委託された事のみを行う…私は自分を神の現地駐在員と呼んでいた。
何年間に学生や教会での人と友人になった。
その間、色々な事をしたが…。
ホテルで従業員に日本語を教えたり、海岸でゴミ拾いをやったり、レストランやホテルでピアノを弾いたり賛美歌を歌ったり。
私はピアノは下手であるが…中国人には分からない。
少々音程がずれても、つっかえなければ…。
ある時、群集にキリストの意味を教えようと画用紙に書いてプラカードを作った(中国では地面に置くと、すぐに人だかりが出来る)。
学生を誘ってみたが、公安に逮捕される前に石が飛んで来て、誰もついて来なかった。
それでは省政府に行って許可を先に取っておこうと、単身、外事局へ乗り込んだ。
その時、神様は言われた。
「敵を味方にしてしまえ」
と…。
私が担当者にボランティアの話をしたら、彼はあちこち電話をして呉れて国立大学の共産党書記を紹介して呉れた。
書記は学長以上の立場だそうだ。
貧困学生20人に、年単位で食事代の援助である。
講堂で式典まで開かれた。
書記は大喜びであった。
それで私は書記の友人と言うことになってしまった。
もう警察署長ぐらいでは手も足も出せない。
当時は反日感情もなく、海南島は経済特区として公共施設等で日本から大なる援助を受けていた。
私は存在するだけで、公安を黙らせた。
国立大学の教授が外人教会で友人となり、奥さんと共に大学官舎に教会を作ってしまった。
私も多少は協力したが、恐ろしい事である。
政府を相手に喧嘩を売っている様なものである…。
その信仰と行動力には全く驚かされた。
海南島には私と同じく、只、神に命じられて家族と共に、又、老人で来た人もあった。
何処からの援助もなく、裕福でもなく、只、神に従って外国から…。
中国では随分とひどい目にあったが、許す事も学んだ。
一日に三度も騙されると、到底、許す気にはなれない。
でも神様は許し愛せよ、と言われる。
中国で日本の10倍騙されても、金額では日本の方が大きいようだ…。
滞在中、宗教の回答は日本と同様に出来た。
都会に住んでいたが、テレビを見ても意味が分からないので、情報的には離れ島と変わりないと感じていた。
数年間は神様との会話が出来たようである。
しかし6年も住むと騒々しくなり、神の反対も無かったので帰国した。
現在83歳であるが、今年は大阪も猛暑で私も体調を崩し、1ヶ月以上、死線を彷徨った。
もう死ぬかと思った時、神様は色々と語って呉れた。
アジア核戦争について人類の滅亡を止めるべく、イエス様は十字架の絶叫を今に至るも続けておられる。
神は言われる。
「この世界はわたしのものだ。人間の勝手にはさせない」
と…。
この手記を聖霊は止められなかった。
核戦争について大公表しようと計画したが、神は止められた。
まだその時ではないようである。
神様の思いについては、神とキリストを愛する人々には伝えておきたい。
この手記は自由に使って下さい。
海南島のヨハネ
なお、私についてはネットで検索すれば沢山出てきます。
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