2019年 7月24日(8)
一日本人の回想⑩ 戦時中3
戦時中の思い出はいくらでもある。
高齢者は同じかも。
代用食でわずかの米に大根や大豆粕、麦は5分になるともう喉を通らない。
農家でも食料は供出が厳しく、野菜も混ぜてのご飯である。
子供は腹が減ると、他所の畑へ行って何でも盗む。
芋などは生のままで食べても美味しかった。
でも、都会ではそれすら出来ない。
味噌も醤油もなく、海水を醤油の代わりにしていた。
しばしば停電があり、灯りは油で、まるで江戸時代であった。
石鹸などは金持ちでも持って無く、糠(ぬか)を使っていた。
不衛生でノミやシラミは普通であった。
夜は蚊に襲われ、燻の煙で涙は出るし、国民も先にこんな生活を経験してから戦争を言えば良かったかも。
19年頃には、戦災者も多くなり、政府や軍の命令でも応じる力も無かったかも。
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