質問「自分が傷付いて相手を赦せない時、どうすればいいですか?」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】海南島のヨハネさんとクリスチャンの方に質問です。

赦しについてです。

教会のメンバーにシェアしていくのも一つなのですが、ここでも聞かせてください。

とても自分が傷ついていて相手を赦すことができない時どうしていますか?

どう考えても相手に非があるのに、と考えてしまいます。

義を求めて戦うことと、赦しの区別がつかない原因もあるかもしれません。

たとえ裁判をしても、自分のココロの解放はされないっていうのも分かってますが、相手を理解することまで、つなげることができません。

もうこの時点で神様が私にどんな益や祝福をくれるのか考えてなく、自分にフォーカスしてる(罪ですよね)のですが。

「自分の思いを手放し、神様から祝福をもらう」

「70×7回赦しましょう」

「脱出の道はある」

「すべては益となる」

そんな聖句などを何度も読んでも、神様が私にどうしようとしてるのかわからなくなり、自分に適応することができません。

手放すこと、どうしたらできますか?


【回答】海南島のヨハネです。

質問を感謝します。

赦しは難しい問題ですね。

回答者として私は不適格かも知れません。
 
「こうあるべき」との回答は誰でも出来るでしょうが…。

自分が出来なければ意味は無いでしょうね。

私も永い間には赦さなかった事が多々ありました。

大阪府警相手に高等裁判まで何年間も争った事もありましたが、最高裁へ上告しようとした時、神様は、

「今の裁判官もいつまでも裁判官ではなく、あなたもいつまでも被告ではない」

と言われ、上告は取りやめました。

最後の審判は、天の国で神の前で行われるのです。

兄弟を憎む者は神の敵です。

ある時、会社の人を赦す事が出来ず、朝起きた途端、むらむらと憎悪が湧き上がり、非常に苦しい時がありました。

もうたまりかねて神様に聞きました。

意外な返事でした。

「あなたは嫌がらせをしたらどうか」

でした。

相手にではなく、自分の心に巣食う悪の霊にでした。

それで、悪の霊の嫌がる愛の行為を始めました。

相手に電話して安否を聞きました。

全く意外でしたが、相手は私を憎んでの行為では無かった事が判明しました。

何だそんな事だったのか…と和やかに電話を切りましたが、赦す事が出来、心は回復して、悪の霊は出ていきました。

キリスト教は力の宗教です。

本心から願う者には、赦す力も与えられます。

まず神様に、

「赦す力を与えて下さい」

と願って下さい。

そして、

「神には出来る」

と信ずる事です。

不思議な力が与えられますよ…。

私も現在、赦しと忍耐の戦いの最中です。

聖書には、

「見ている兄弟を愛さないならば、見えない神をどうして愛する事が出来るであろうか」

と書いてあります。

赦さなければ、愛せないのです。

愛が無ければ、神様とは上手くいかないでしょう。

赦しは、人間に一生課せられた訓練です。

長くなりますので、この辺で。


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