死について 神への質問 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  8月9日 
 
取り憑いた悪霊を追い出すのは、並大抵ではない。

本人が非常に苦しむが、死の苦しみは、最後のチャンスである。

より大きな力、神の力によって追い出すが、この場合、判然とした意志表明が必要(「悪霊と決別します」と云う)。

そして、「神にはそれが出来る」と云う信仰が必要である。

すなわち、悔い改め。

そうすると過去の罪は赦され、神の子としての助けが神より来る。

悪霊もまた神の命に逆らって人に取り憑く事は出来ない。

しかし現在罪を犯している、又、犯そうとしている者も赦される事はない。

又、悪霊も出て行かない。

この悪霊と手を切らないと死後、悪霊に引きずられて地獄へ落ちる。

若い頃、神と話す能力を持ちながら、実に50年近くも表立って神は語られなかった事が今判った。

その頃、もし今のように神が語られたら、私は悪魔の集中砲火を浴び、何年も生き長らえる事は出来なかったように思う。

昔云われた事、

「切り札はめったな事では使わない」

この意味が判った。

順番を間違えてはいけない。

先ず神の思いが行われる事。

私の質問は2番3番である。

地獄とは、地底のように低い閉ざされた世界である。

この世で悪事をなす。

でも人間だけ帰る事の出来る天国で、席替えは出来るか?

はじめに、死後の世界は霊の世界であるから、直接表現する言葉は三次元の世界には存在しない。

だから三次元に置き換えた例え話になってしまう。

他の人が違う例え話をしても、間違いだと云う事は出来ない。

天地創造の神を信じる人々は、神を中心とした霊の集団に属する。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じである。

神の子となる方法が違う。

死後、天において神が与えられる席、住んでいる空間は、星雲の様な形なのか、又は土星の輪の様な形なのか、どうにでも表現は出来る。

他の宗教はどうなのか?

偉人を神とした宗教は、霊の世界では意味がない。

せいぜいお互い近くに住んでいるだけである。

では仏教等ではどうであろうか?

彼等も又霊の集団であるから、天国(霊の世界)では一つの場所に集まっている。

しかし神より来る栄養(光)が届く程近いかどうか?

信仰が無ければ祈る事が出来ない。

祈りが無ければ霊の栄養を受け取れない。

賛美もまた祈りの一種である。


8/8

既成宗教はその死後どうなりますか?

又、霊の栄養はどこから受けていますか?

天国と地獄:神に近い・遠い 
      神に似ている・似ていない 
      濃い・うすい

神よ、彼等は死後どこへ行くのか?

どこから栄養を取るのか?


8/9

「あなたは人並みの労苦を味わった」

(苦しみを味わう事が神の思い、又私の仕事であったのか?)

62年前は原爆が落とされた。

当時の日本人、特に軍部の上層部は、復讐の念に燃え、全く人殺しの悪霊に取り憑かれている様に見える。

もう普通の精神状態ではない。

だから悲惨な戦争が出来たのであろうが。

--------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ