中国人の性質について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  11月28日

中国の海南島に日本人誘致をしてみた事があるが、ゴルフの旅行者が少しある位で、住んでみようと云う人は本当に少ない。

九州程の大きさに何十人位である。

ハワイよりもうんと近いのに。

何故かといろいろ調べてみた。

住んでみた老人も帰国した人の方が多い。

色々と話を聞くと、気候とか言葉、食事の問題よりも、中国人との人間関係の様である。

私も4年近く住んでいるが、日本人との性質の違いで本当に嫌な思いをした事が多い。

今では段々と慣れ多少は理解はして来たが…。

中国人はエレベーターの中でも知人友人しか挨拶はしない。

こちらから挨拶すると警戒される。

返事はない。

彼等はすべての人を警戒する。

家族でも、本当には信用しない様である。

それ程、騙される、物を盗られる。

だから自分専用の持物は鍵をかける。

スーパー等へ買い物をすると良く判る。

大勢いる店員は買い物を助ける為ではなく、万引を防止する為の様である。

売場を聞いても、

「あっち」

と云うだけで、ほとんど案内はして呉れない。

そのくせ、後にピッタリついて来たりする。

それ程、万引は多い様である。

お客は買う人ではなく、万引するかも知れない人として見ている。

日本人には不愉快である。

商店に限らず、万事そうである。

ホテルでも保証金を入れないと宿泊出来ない。

うっかり宿代だけ持って行くと、泊れない。

疑われる、犯人扱いされる、騙される、物を盗られる、これに耐え切れなくて居住をあきらめた日本人が多い様である。

私が中国に住み始めた頃、2人の大学生をホームスステイさせた。

中国と中国人を知るには一緒に住んでみる事が早道と考えたからである。

在住の日本人は、

「中国人を家に住ますな。やがて家を取られてしまうから」

と注意して呉れたが、半分は当たっていた。

しばらくすると、田舎から学生の母親がやって来た。

もう少しすると、弟がやって来た。

私のマンションは2 DK の小さな処なので、部屋は中国人に占領されて、私は居間の片隅にベットを置いて、まるで私が居候の様になってしまった。

まだ次々とやって来たが、もう住む処が無いと断った。

中国人は居間の床が空いているので、まだ2~3人は住めると言ったが…。

成る程、田舎の中国人の家を見ていると、私のマンションなら10人位は住んでいる。

在住の日本人に話したら、

「何と馬鹿な…!」

と絶句していた。

中国人と一口に言っても、都会の金持ち・普通の人・田舎の人・田舎の少数民族と色々の様である。

私の家には東北出身が多かったが、現地の人もいる。

だから性質も色々である。

中国人の8割を占める漢民族はマナーは少々悪いが、その他は日本人と同等かと思っている。

例えば、バスに乗っても老人や子供には9割位席を譲って呉れる。

大阪では1割もあるかないか…。

泥棒は非常に多いが、傷害や殺人はめったに無い。

憎しみによる犯罪も殆ど無い様だ。

不思議に思うのであるが、ガラスのショーウィンドウやドアを割って盗む人はいない様で、鍵は頑丈にしてあるが、ガラスは防備していない。

中国は性格の悪い一部の人の為に、大変に発展が遅れている様である。

良く整備された町でも、田舎から出て来た様な物売りに歩道を占拠されてしまう。

その人達がバスも荷物運びに占拠してしまう。

開発区では警察が厳しいのか2、3集まると追い払われてしまう。

警察官も田舎出身が多く、自分の親兄弟を想うと厳しくは取り締まり出来ない様である。

長距離バスは途中で警察の検問があり、出稼ぎを取り締まっている様であるが、その区間を短距離バスに乗れば全くザル法の様である。

中国政府もこの人達の為には何十年に渡り苦心惨澹の様であるが、未だに有効な対策は無い様である。

中国人の1~2割であろうか、物の所有に対する考え方が日本人とは違う様である。

私の家の物もずい分持って行かれた。

留守中には家具まで処分されてしまった。

そして何の罪意識も持っていない。

だから、問い詰めるとすぐ白状する。

「日本人の家には沢山の品物が余っている。現在使っていない。私の家には買いたいが買えない。だから持って帰った」

と言い訳である。

「黙って持って帰ったら泥棒だ」

と言っても、全く判らない…。

そして言い訳を大声でわめき出す。

中国人同志でもしょっちゅうやっている。

声の大きい方が正義である。

この様に、罪も認めなければ、反省もしていない。

だから進歩はない。

しかし神は、この様な中国人でも愛して居られる。

多くの日本人も戦後の貧しい時には同様であった。

戦後20年位迄は給料も安かったし、会社の小物をちょろまかすのは、むしろ常識であった。

又、お客さんには嘘をついて注文を取る。

これも田舎では常識であった。

だからあまり罪意識はない。

今の中国人と同様である。

まあ、現在の日本人でも、あまり自慢は出来ない様である。

建築関係では、工事中に何かと理由をつけて値上げを要求する。

これも中小企業ではごく一般的であろう。

工事が完了して見たら何割にも増えていて、

「初めからしっかりした業者に注文したら良かった」

と嘆くことも起きて来る。

もうかなり前であるが、大阪市内の家庭菜園で野菜を作ってみた。

何百もある広い所であったが、たいてい背丈程もある垣根で囲ってあった。

盗難防止の垣根である。

私の所は、

(2~3割持って行かれても、まーいいか)

と、垣根は作らなかった。

その結果、収穫出来たのは、ほんのわずか一割も無かった様に思う。

泥棒は一般人の様であった。

多分、捕まえてみれば 、

「簡単に取れる状態の作物を取って行って、何が悪い」

と、開き直られる様な気がする。

これは現在の一部の中国人の言い分と全く同じである。

「簡単に取れる状態にして置くのは、取っても良いとの許可の様なものだ」

と彼等は言っている。

彼等にモラルとか約束とか法律とかは、大して役に立たない様である。

只、罰金には敏感である。

交通にしても、罰金の厳しい四輪の信号や駐車は完璧と思う程守っている。

とても日本の比ではない。

しかし、その他は全くのデタラメである。

二輪や歩行者は信号は全く無視。

逆走や無灯火、何でもありである。

オートバイが携帯で話しながらまともに前を見ないで走っている。

恐ろしい事である。

携帯はタクシーでもバスの運転手でも運転中に使っている。

バスはワンマンで忙しい筈なのに、走りながら携帯のボタンを押している。

恐ろしい能力である。

この処、私も中国人の性質にほとほと閉口して神様に聞いてみた。

返事は、

「過去の罪は赦しなさい。現在の罪は赦さない。まして将来の罪に加担はしない」

であった。

又、言われた。

「もし赦さないならば、同じ事を行ったあなたも同罪である」

私もまた戦後の貧しい頃は、随分と物をくすねた。

悪いと思ってやっていたので、今の中国人よりも、もっとたちが悪い。

私もいつまで赦さなければならないか。

いつまで忍耐をしなければならないか…(現在の罪とは現に行っている)。

そうした中国も現在、大勢の人が教会へ行き、救われ、性質が変わってきている。

最近私の行っている教会は、100人規模の家の教会であるが、大半は若者である。

中国共産党は70年に及ぶ教育と、すごい弾圧多くの犠牲を払って来たが、中国人の性質を変える事は出来なかった。

しかし神は、唯物論に洗脳された若者をも次々と変えている。

中国の発展のブレーキになっていたこの性質が変わった時、中国は大変な大国になると思う。

勿論、アジアでは段突の国である。

今、中国人全体がイエス・キリストを信じて救われる様に、神様は働いて居られる様である。



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