質問「無神論者でも、時に神を求める事について」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】変な文になっていますので、御了承ください。

”神”

これは人間が考えた単なる妄想にすぎない。
自分はこう考えています。

でも、神を信じていない人でも、ほんの一昔前に、「神様助けて」と考えたことはないですか?

自分はあります。

「子供だったから仕方がない」

こんな考え方は単なる自己満足にすぎない。

この世に意味なく存在する物など無い。
植物も動物も、ましてや糞も。
植物は動物を。動物は糞を。糞は植物を。

しかし、人間はこの世の為に何かをしましたか?

「地球を救っている」

しかし、これは人間がしたことを償っているだけ。

名画や名曲は天才達が生み出したもの。
”天才”すなわち天より授かった特別な才能。

人間は「神は天にいる」と考えている。

となるとこうは考えられませんか?

『天才は神が人間に、何かを伝えるために生み出した特別なもの』

これは例えばの話しです。

冷やかしや荒らしはやめてください。

よろしくお願いします。  


【回答】この質問は真面目な質問の様なので、プロとして、回答します。

質問者さんは、自分に正直だと思います。

自分の弱さが未だ判らない人々は、神は心の拠り所として人間の創作だと言いますが、誰でもいざとなると、大いなる存在に願う気持ちはあるでしょう。

山の中で道に迷い、何時間も道を探し、又、海の真ん中で帰る方向が判らず、途方にくれる…。その時、大抵の人は、神仏に祈っている様です。未経験者は強がりを言いますが…。両方とも、私は経験があります。

私の父は、有名な無神論者でしたが、死ぬ一月くらい前から死の恐怖に取り付かれ、無神論は何処へやら、悲惨な最期でした。

神なぞ居ないと言う人も、同じく、死の過程で神を認めざるを得なくなりますよ。

私は死んだ事のある経験者ですので想像でものを言っていません。私には山が動いて、迫って来る様に感じましたが、聖書は的確に書いてあります。「恐ろしい者が道にあり…」と。

日本人の言う神は、天地創造の神から死んだ人の霊まで、十把ひとからげの様ですので、八百万の神はいないと言っても嘘にはならないと思います。

人間など蟻くらいの存在に見えるであろう天地創造の神は厳存します。

神に向かって何かを言っても蟻の呟き位でしょう。神は何処にいるのかとか、親は誰なのか、とかは 3 次元世界の話です。高い次元の霊の世界は有るのです。感覚の無い人間に見えないだけの話です。

昨日は、学生から同じ質問をされましたが、唯物論の教育を受けた共産国の学生達でも、神について、人生について、真面目でしたよ。

質問者さんは無神論信者のふざけた回答に惑わされる事なく、本当の神の存在を探求されてはいかがでしょうか…。

海南島のヨハネ


--------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ