老人の回想 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  1月3日

朝から色々と昔の事を思い出しているが、つい20年位前まで感じていた事も思い出した。

老人はなぜ昔の事ばかり言うのであろうか?

他にする事は無いのであろうか?

私には全く関係はないと…。

60才になると、市の老人センターの利用資格が出来たので、待ってましたとばかり行き出した。

そこでは全員、私より先輩である。

最初の内は随分、戸惑った。

みんなゆっくりと一日を過ごして居り、まだ現役であった私には、別人種の様に思えた。

その頃は、

「リタイヤしてする事のない老人は、皆んなそうなるよ」

と説明されても、当時の私には全然他所事、そんな物指しは持っていなかった。

あと数年の寿命かなと思う年頃になって、やっと昔の事をゆっくりと回想出来る様になった。

60才の頃、到底別世界と思われていた老人に、わずか10数年でなってしまった。

小学生の頃は大人の考えや行動は理解の外だった。

サラリーマンの頃は、上司や社長の考えも然り。

(人間あんな事出来るのか?考えられるのか?)

と思っていた。

しかし経営者になると、私も同じ様な考えになってしまった。

若い頃には、自分の考えがしばらく後でまた変わって来るとは思いもしなかった。

一生変わらない絶対のものだと確信していた。

新聞社やテレビ局へ何度も抗議し、電力会社へ出向いて原発に対する自分の意見を一時間もしゃべり(今思うに仕事とは云え2人の担当者はくだらない幼稚な私の意見を一時間もよく聞いて呉れたものだと)、しかし10年も経つと自分の考えも段々と変わった。

今振り返ると、自分の考えとは、その時持っていた知識の発表に過ぎなかったなーと…。

私は小学生の頃から、新年になると将来の希望や考えをノートに書いていた。

毎年の様に思ったのであるが、

(一年前の考えは幼稚だな)

と。

20才過ぎ迄は、一生の幸せは大会社に入り、上役になり、家も建て結婚もし…であった。

現実の方が希望よりはるかに早くやって来た。

田舎では夢にしか過ぎなかった東京銀座の大会社に就職し、すぐに部下も出来た。

でも半年もすると、それが思った程幸福でない事に気が付いた。

それで将来の目標を作ろうと考えた。

その時、従来の自分の考えは次々変わっていった事を知っていた。

そして思った事は、

(将来を設計するには、次々変わる事柄を入れては駄目だ)

と…。

それで、

「変わらないものはなんだ…」

という探究から始まって、

人生論→失望→自殺願望→キリスト教へと進んだ。

老人になって振り返ると、変わらないものもあった。

自分が受けた経験…変わりようがない。

自分が受けた悟り…変わらなかった。

唯一神への信仰…50年以上全く変わらない。

自分の持っていた意見や信念…これはその時の社会常識やマスコミ等に随分影響されていた様に思う。

会社の2、3日の入社研修会で人生観が変わったと云う話も聞くが、大学生の人生観はこんな弱々しいものであるのかと、全く驚いてしまう。



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