原点に戻った | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年  6月4日

最近与えられる神様の言葉は、私を50年位前の原点に連れ戻した。

救われて2、3年後、神様は私に強烈な幻を視せて私の人生は変わった。

それは死んで行く人々に対するイエス様の絶叫であった。

歴史を見ると、気が狂った人の様に福音の為に死んで行った人々が沢山いる。

これ等の人等も同じ様な幻を視たのであろうか?

私はその幻を視たあと、持っていたすべての望み、計画を捨てて神様に従わざるを得なかった。

イエス様の絶叫を思い出すと、徹底的にはとても反抗出来なかった。

今、幻の位置に帰った気がするが、同じ高さではない。

2階、3階、いやもっと高い位置かも知れない。

何十年間も廻り道だったのだろうか?

幻の中でイエス様が云われた

「私の子供達が死んで行く!」

の子供達は、神の存在を信じるに足りる証しを知っていながら、なお信じなかった人々である。

…私はそれだけとは言わない…。

神を見た者はいない。

ほとんどいない。

しかし、神が居られなかったらあり得ない事は沢山ある。

多くの殉教者の存在がある。

神様の命により地位や名誉、財産を捨てた人々がある。

これ等は状況証拠である。

これ等を知って居る人々は、神様に弁解出来ない。

しかしイエス様は、彼等が亡びるのに対して絶叫される。

「私の子供達が死んで行く!」

と。


聖書の中でイエス様は、その多くを例え話で話された。

そして、

「耳のある者は聞くが良い」

と云われた。

明らかに信じなかった者に対して配慮されている。

では幼児や子供は死後どんな処に行くのか。

私の神様に聞く宿題はどんどん増えて来る。

私はカトリック教会を非常に尊敬している。

マリヤさんを礼拝するのは賛同しかねるが、これはマリヤさんを預言者と同列扱いにもしないプロテスタントも同罪と思っている。

プロテスタントは多くをカトリックに学ぶべきではないかと何十年も前から思っている。

少なくとも聖書の信仰と実行では、カトリックは数段勝ると思っている。


神は今嘆く。

「私は人類に凄い贈りものをしたのに、人は私の存在さえ認め様としない」


今、神様の無念さが身に沁みる。

“神よ、一緒に泣いてあげましょう”

「神の思いが神の国で実行されている様に、すなわち無数の天使達が神を注視して賛美を歌っている様に、地上でも被造物であり、子である人類が同じ様にして欲しい」

と神は言われる。

又言われる。

「人が地獄から逃れる最低限の道を私は教えよう。丁度、母親が子供に麻薬には手を染めないで欲しいと懇願するように、私は私の子供、人類に懇願する。滅びの霊、悪魔とは手を切って欲しい。それは、悪魔と共に地獄に落ちない為である」


主なる神は言われる。

「私はもはや完全を人類に要求しない。彼等は元々不完全なものであるからだ。しかし、悲劇からは逃れて欲しい」

「私の前に完全な人がいない様に、完全な宗教もない。しかし多くの宗教を私は容認して来た。それは次善の策である」




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