質問「終戦直後の民衆の様子について」 | 海南島のヨハネの黙示録

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キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】戦争が終わって・・召集解除になった兵隊さんや、予科練の練習生たちに民衆たちが、

「負けたのは、お前たちのせいだ!」

と憎悪の石つぶてを投げつけたというのは本当の話でしょうか。

だとすると、冷静に考えたら現代と考え方が逆ですよね。

当時の民衆は、負けて悔しい、勝ちたかった――と、心から思っていた。

ところが現代ではどうか。

国民は戦争に反対だった軍部にだまされていただけだった、戦争に反対すると憲兵に捕まって拷問されるから仕方なく協力するしかなかった。

こういう人が大半です。

あきらかに矛盾がある。

ということは、こうは考えられないでしょうか。

終戦後、今度は戦犯狩りが始まり、次々と旧軍人が死刑になるなか、民衆のなかに巧妙な論理のすり替えがあったのではなかろうか。

すなわち、自分たちはシロだ、軍人どもが勝手にやったことだ、ヒロシマ・ナガサキは日本軍が降伏しなかったせいだ、

戦争=悪、日本軍=悪

こう叫ぶことによって自分たちを正義の立場に置いて冤罪にしようとした。

確かに進駐軍には優しいアメリカ兵もいたかもしれない。

必ずしも鬼畜米英ではなかった。

しかしそれはあとから知ったことであって、当時の世論はおしなべて「アメリカ人をぶち殺せ!(『主婦の友』のタイトル)」だったのではなかろうか。

それとも洗脳されていた人は、どんなに悪に加担しようが無罪なのでしょうか。

ついつい散漫な質問になってしまいましたが、ご意見・ご回答のほどよろしくお願いいたします。


【回答】戦争について、実に色々な回想があります。

終戦時、未だ徹底抗戦を叫ぶ人もあったでしょう。

戦果をあげなかった軍人を呪った人もあったでしょう。

終戦時、私は小学生でしたが、終戦の年には軍隊や天皇までを馬鹿にした替え歌がはやり大部分の人は厭戦気分だった様です。

原爆投下や敗戦を喜んだ人が大多数であった事を記憶しています。

戦争責任を軍部や政府のせいにする日本人に対して、諸外国は軽蔑の眼を持って見ている事を多くの人は知らないでしょう。

ドイツのように国民が狂っていた、だから謝ります、又、賠償も払います、と言う国とは対象的です。

戦争の原因については私の意見ですが、明治の富国強兵を決めた時点で敗戦は避け得られないと考えます。

植民地化を避ける為、止むを得ぬ選択の様にも思えますが、国を強くする為には思想統一は必要であり、ある程度事実は隠さざるを得ないでしょう。

嘘でも良いから国を強くして戦争には勝ちたい。

これは明治以来の日本人の選択であった様です。

戦前、事実を書いた新聞があったようですが、国民の不買運動ですぐ潰れたようです。

開戦後は敗北の事実を報道しようものなら軍部ではなく、国民から総反撃があったと思われます。

天皇を頂く日本が負ける事はあり得ない、報道が嘘だと叫ぶ人もいた様です。

2.26事件の実行者の一人は私の叔父でしたが、戦後になってもその武勇伝は何度も聞かされました。

自分が教えられ、信じている事柄に賛同する意見のみ選び、事実は知りたくない。

これが戦時の国民の状況だった様です。

昭和16、7年ごろの勝利で国民殆どが血沸き肉踊る思いであったころ、事実を知ろうとした冷静な人は少なかったでしょう。

この頃の日本を思う時、やはり同じ様かなと感じています。

事実よりも楽しみを選択した結果、苦しみや敗北は避けられないでしょう。

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