信仰とは1 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

信仰とは、

*望んでいる事がらを確信し、まだ見ぬ事実を確認する事である*

もう20年以上も前の事であるが、大変お世話になった牧師さんの奥様が、天に召された。

葬式当日の朝、神戸より東京へ電話があった。

葬式の時間まで3、4時間しかなく、飛行機でしか間に合わなかった。

航空会社2社へ早速、電話をしたが、その時間帯は乗れる見込みがないとの事であった。

どうしようか!と思案している時、聖霊が私をつついて、急き立てたので、とに角、羽田へ行った。

行ってみると、キャンセル待ちの列があり、私もそこへ 並んだ。

時間になり、私より何人も前で打ち切られ、

「もう飛行機の出発ですから」

と係から言われて、そのカウンタ-には誰もいなくなった。

人間的に考えて、駄目だ!と云う事が確定した。

しかし私はまだカウンタ-の 前に立っていた。

(聖霊に急き立てられたので来たのに、どうした事だろう?)

と思いながら、まだあきらめなかった。

1、2分後、不思議が起こった。

キャンセル待ちでキップを手に入れた二人の人(同伴者)が、再度キャンセルしにそのカウンタ-に帰って来た。

そこで、私とたまたま来たもう一人の人がキップを手に入れる事が出来た。

もし私があきらめてカウンタ-を離れていたら 、これは実現しなかった。

この事を通して、私は信仰の態度を学んだ。

1、神は”これこれ”をさせて下さる!との確信を持つこと。

2、途中で事情が「どう変わろうとも」態度を変えない。

3、常識上、不可能だ!と云う事が確定した後でも、望みを捨てない。




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