聖霊の満たし2 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

86年、ある日いつもの様に神様に起こされた。

「滋賀県へ行きなさい!」

との事であったので、車を運転して大阪から名神高速を走った。

早朝ではあったが、2、30分も走ればすっかり眼は覚めていた。

高速道路を運転していて、ハッ!と気がついた。

確かに自分が運転しているのだが、全く感じが違う。

何かをしていると言う感じがない。

眼で前方を見ていると、手は勝手にハンドルを廻している。

大津に到着する迄、自分に何度も問い掛けた。

夢を見ているのだろうか?

居眠り運転をしているのだろうか?

頭はこんなにハッキリしているのに、どう考えても私の中にもう一人の人がいて、運転しているとしか言いようがなかった。

私のする事は、只、なんとなく前を見ていれば良かった。

大津インタ-を出て大津市内に入り、ある所迄行った時、その感じは終わった(いつもの自分に戻った)

その時、幾つかの聖句が実感として判った。

「もはや我生くるに非ず、キリスト我が内にありて生くるなり」

又、

「ペテロの出獄の経験」(使徒行伝12章)

その事があって、暫く後、曲がりくねったドライブウェイを走っていた時(ほとんど連続してハンドルを廻す様な道であった)、当時を思い出して、

(そうだ!聖霊に運転してもらおう!)

と考えた。

しかし、一寸でも運転を間違えると事故になる様な道であったので、躊躇した。

が、結局そっと聖霊に委ねて見た。

そうすると以前の高速道路の時と同じで、私はボンヤリ前を見ているだけで、勝手に手は動いて、おまけに足まで動いて、何の危険もなく麓まで下りて来た。

私はといえば、車に乗せてもらっているという感じであった。