「滋賀県へ行きなさい!」
との事であったので、車を運転して大阪から名神高速を走った。
早朝ではあったが、2、30分も走ればすっかり眼は覚めていた。
高速道路を運転していて、ハッ!と気がついた。
高速道路を運転していて、ハッ!と気がついた。
確かに自分が運転しているのだが、全く感じが違う。
何かをしていると言う感じがない。
眼で前方を見ていると、手は勝手にハンドルを廻している。
大津に到着する迄、自分に何度も問い掛けた。
夢を見ているのだろうか?
居眠り運転をしているのだろうか?
頭はこんなにハッキリしているのに、どう考えても私の中にもう一人の人がいて、運転しているとしか言いようがなかった。
私のする事は、只、なんとなく前を見ていれば良かった。
大津インタ-を出て大津市内に入り、ある所迄行った時、その感じは終わった(いつもの自分に戻った)
その時、幾つかの聖句が実感として判った。
「もはや我生くるに非ず、キリスト我が内にありて生くるなり」
又、
大津インタ-を出て大津市内に入り、ある所迄行った時、その感じは終わった(いつもの自分に戻った)
その時、幾つかの聖句が実感として判った。
「もはや我生くるに非ず、キリスト我が内にありて生くるなり」
又、
「ペテロの出獄の経験」(使徒行伝12章)
その事があって、暫く後、曲がりくねったドライブウェイを走っていた時(ほとんど連続してハンドルを廻す様な道であった)、当時を思い出して、
(そうだ!聖霊に運転してもらおう!)
と考えた。
しかし、一寸でも運転を間違えると事故になる様な道であったので、躊躇した。
その事があって、暫く後、曲がりくねったドライブウェイを走っていた時(ほとんど連続してハンドルを廻す様な道であった)、当時を思い出して、
(そうだ!聖霊に運転してもらおう!)
と考えた。
しかし、一寸でも運転を間違えると事故になる様な道であったので、躊躇した。
が、結局そっと聖霊に委ねて見た。
そうすると以前の高速道路の時と同じで、私はボンヤリ前を見ているだけで、勝手に手は動いて、おまけに足まで動いて、何の危険もなく麓まで下りて来た。
そうすると以前の高速道路の時と同じで、私はボンヤリ前を見ているだけで、勝手に手は動いて、おまけに足まで動いて、何の危険もなく麓まで下りて来た。
私はといえば、車に乗せてもらっているという感じであった。