親兄弟の死について3 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

母が死んで2、3年後、父も病気になり、田舎の病院に入院した。

姉と妹が四国に住んでいたので、そちらの病院に転院して、しばらくたった頃、病院より呼ばれて、父が胃ガンの末期である事を知らされた。

かなり前から胃が悪く、食事もあまり進まなかったので、その時の父の状態を見ても私達兄弟は信じられない思いであった。

医者は曰く、

「胃に大きいガン2つと小さいガン2つがあるが、老体でもあるし、心臓も悪いので、手術は出来ない。結局は餓死する様になるだろう。2、3ヵ月でしょう…」

と云う事であった。

私達兄弟は半ば信じなかったが、医者の云った通り、暫くすると食事は全く受け付けなくなった。

水を飲むのさえ、嘔吐する様になり、私達は事の重大さに気がついた。

私としては、祈るより他に方法はなく、断食祈祷する事にした。

私は、神に祈って云った。

「父親がガンで死ななければ、ならないのなら、私も同様にして下さい。父親が食事が通らないなら、私も同様にして下さい」

悲壮な決意で祈り始めたのだが、1、2時間もしない内、非常な平安で満たされた。

次の日、妹から電話があり、不思議な事に、お父さんが何でも食べる様になり、

「いいかげんにやめておき!」

と云う位食べている…。

私は神様に感謝し、結局、断食祈祷は丸一日位でやめた。

その後レントゲンを取ったが、父親のガンは無くなってはいなかったが、症状は全く停止して、ガンになる前と同じになり、食事も普通に取れる様になった。

この父親も何年か後に死んだが、病名は老衰であった。

父親の入院中、近くの教会に何度も訪問して頂き、私もイエス・キリストを信じる様、度々話をし、祈りの言葉を大きく紙に書いて、読み祈る様に度々勧めたが、最後迄に信じたかどうかは判らない。

しかし教会で葬儀は行った。

父の死後、しばらくして、田舎に墓を作る事になり、多分、村で初めて仏教式でない墓を作った。

墓が建った後、初めて田舎へ帰った次の朝、夢を見た。

私の兄弟の一人が、

「水を掛けてくれ、水を掛けてくれ」

と私に言った。

これは何の事だろうと、私は考えたが、どうも、

「洗礼を授けて呉れ!」

と云っているのに違いないと判断し、朝バケツを持って墓に行き、父と子と聖霊の名によって死んだ家族全員に洗礼を授けた(墓の上から水を掛けた)。

これ迄に起きた私の家族に対する色々な不思議は、それぞれの断片的な出来事であるが、つなぎ合わせて見ると、何か神様の計画であった様な気がする。