関西に来てから2 仕事がうまくいかず苦しむ | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

神戸に来てすぐに、牧師さんに勧められて就職した。


通信機の会社で、仕事は面白そうであった。


第一日目、仕事を始めて1、2時間もしない内に聖霊は言われた。

「これはあなたのする仕事ではない」

その会社は就職1日で辞めた。

何をなすべきか毎日祈っておったが、神様からは何の返事もなかった。

失業保険があったので生活には困らなかったが、夫婦共遊びも2、3ヵ月も続くと退屈してしまった。

失業保険の残り期間も少なくなり、段々心細くなって来た。

又、毎日なす事もない家内の顔を見るのも忍びなかった。

結婚後、数カ月は頑張ったが、ついに神様にたてついた。

私は神様に言った 。

「私は私でやって行きますから、もうこれ以上、干渉しないで下さい」

こうして、私はついに神様に背いた。

たくさんの会社の就職試験を受けたり、出向いたりしたが、どうしてもうまくいかなかった。

もうどんな会社でも 良いと思っていた時、電気工事の会社へ就職があり、そこに決めた。

そこでは、私が東京におった時の立場と全く反対の立場でかなり苦労した。

そこの社長とも度々口論したので、段々苦しい仕事へ廻され、最後には大阪近郊の田舎で土方の様な仕事迄させられた 。

泥まみれになり、電柱の穴を掘りながら、私は思った。

もし私が聖霊に従わずにいたら、東京の銀座で主任技術者として面白い仕事をしていただろうに、何故今こうして穴堀りなどしているのだろうか?

私には神様の意図が全く理解できなかった(もし明白な神様の用事であれば、私は橋の下でも住む覚悟はしていた)

数年後、私は神様に聞いた。

何故、私をあの様な状態にしたのですか?と。

神様は答えて言われた。

「あれよりも低くしなければ、あなたはあれを選んだだろうか?」

私にはこの言葉は理解できた。

初めの「あれ」とは、その会社でも就職しなければならない状態をさし、あとの「あれ」とは、その会社をさしている事を。

そしてその会社に居る間に、私が東京で仕事の立場として、どれ程高慢になっていたかを…。

一つ一つの仕事が、まるで昔の仇を取られたと言う感じであった。

結局、私は6ヵ月でその会社を辞めた。

この6ヵ月間は、涙とため息と、後悔と苦労とをミックスした様な期間であった 。

しかしこの時、結婚していたので、家へ帰れば憩いの場があったし、慰めもあった。

多分、一人では耐えられなかったと思う。

私は神様から裏切られた様に感じ、心は段々と神様から離れ、教会へは集会に出席するだけであった。