救われるまで1 人生の意味に疑問を持つようになる | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

救われるまで

 

私は田舎の中学卒業後、近くの町で住込みで電気工事見習いをしていたが、19才の頃、一念発揮して東京へ出た。

 

非常な幸運に恵まれて、銀座にある大きな会社の電気係に採用され、1、2年の内に主任技術者になってしまった。


私の田舎の人々から見れば驚くべき出世で、私自身も人生バラ色に感じていた。

 

しかし、喜んでいたのも半年位で、色々と不満な事もあり思った程幸せでない事に気が付いた。


その結果、


「人の幸せとは 何だろう」


といつも思っていた。

 

子供の頃から不思議に思う事があった。


一つは、これこれを買えば、これこれになれば、絶対幸せだ!と思っていたが、なってみると案外そうでもないこと。


もう一つは、将来の希望等をノートに書いておいたが、その時はそれが絶対だと思っていても、一、二年後に読むと、随分幼稚的で馬鹿らしいと思う事。


就職後一年位で、これらの疑問が段々強くなって来た。

 

その頃、私が考えていた事は、

 

1.一生要領よく生きてやろう

2.それには、変わらない目標が必要

 

色々詮索する内に、


「人には生きる目的があるのだろうか?」


又、


「人生いかに生きるべきか?」


という疑問を持つようになった。





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