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解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

今日の題名はこれである。

何故、○○かはちゃんと書くと、明確にヒントを出し過ぎだからである。

このブログはヒントは出すが、明確なヒントは出さないコンセプトになっている。

それでも最大のヒントを書いてみよう。

FとKにはこれは無い。

Kが今の店に移動する時に「引継ぎはいらない」と言ったお客さんの根底には

これが無く居心地の良さを感じたからだと個人的には思っている。

さてこの2人から今、アドバイスをもらう人がいる。

この方はこれがある。

だから無い2人からは指摘されるわけだが、このアドバイスを聞いて良い事もある。

何故なら、これがある前提で今の状態が作られているから。

アドバイスを聞いて仮に前提が崩れるとすると、

自分にとって重要な事との訣別が待っているのを分かっているのだろうか。

これにはどうすれば良いか。

答えはあるのだが、きっとこの方には出来ないから

○年後にはある事実が待ち受けているのだろうとは個人的には思っている。

 

PS

今、Y2がこれを読んでいるか分からないが、これでは分からないだろうなぁ。

(知りたければLINE下さい。もう読んでないかな?)

因みにY2もある。

かなり薄れてきているけど、端々に出ちゃう。

そういえば、Y3が東京に戻って来たようだが、Y3のこれはかなり巧妙で、

周りがまさかこんな状況に置かれているとは思わない。

でもこれを察する人は余り関わらないというリアクションをしているというのが実情だろう。

そうそう・・・Mは別のレベルでこれは出ているが、これが出る事の弊害が分かっていて、

これを出すとどうなるかを自分がやられていてどんな感情が相手に出てくるかを知っている。

だからやらないのだろう。

ある人とやり取りをしていて、Fに言った言葉を思い出した。

このブログでも書いているかもしれないが、ご了承を。

「あなたたちは一旦、作り上げたものをすぐにぶっ壊す。

そしてまた新たなものを創り上げようとする。この繰り返しだよね。

世の中では作り上げたものをいかに維持しようとするかばかり。」

F『すぐにぶっ壊すのは当たり前だから何とも思わないです。』

これはFの思考の過程を見事に表現している。

手技の世界はこれでなくてはならない。

ちょっと専門用語で書くと、固着してはならないである。

これは役割や今の立場に固着してはいけないという事を表現している。

以前にFに「ここ1年で何か視点って変わっているの?」と聞いた事がある。

この時に具体的に何を言ったのか忘れてしまったが、『そうです』と言ったのは覚えている。

確かこれも書いたような気がするが、何かを試行錯誤する事自体が面白い。

そんな感じなのだと思う。

絶えず試行錯誤する。

何者・何物にも固着しない。

日々、何かを試行錯誤して何かを見つけていく。

これが手技に向かう姿勢としては適切なのだと思う。

なんて言葉で書くのは簡単である。

しかし、これを無意識的にやれるかなんてほんと難しい。

でもきっとFと関わり続ける限りはこれが問われ続ける。

これはFの領域に近付けば近づくほど、問われる問いだと思う。

私がFとかOとかに質問する事がある。

この質問の文脈に似ている言葉が出てきた。

それが『発動条件』である。

ちょっとこのテーマについてのやり取りを

『葬送のフリーレン』から書かせていただく。(一部改訂)

「黄金に変えたものとそうでないものがある。何か複雑な発動条件があると見た。」

『発動条件?人はそんな小難しいことを考えながら魔法を使っているのか』

「なんだと?」

『お前たちは手足を動かす度に一々どう動かすか考えているのか?』

『俺の魔法にお前の言う発動条件のようなものは無い。』

「ならば何故?」

『ならば何故初めから魔法を使わなかったか。理由はつまらないからだ』

これを要約すると、自然にやっちゃってるから何か?である。

自然にやっちゃっている事で今の周りの状況を創り上げているのである。

これをOは私に明確に答えた。

(正確にはふわっと答えただけだが、私には明確にやっているのが見えたである。)

さてこれをどう自分で表現するかという問いが出て来る。

これはいわゆる世界観という話。

先日、Fと話をした中で言っていたのが、私のビジネスは損か得か。

もちろん、パーソナリティの部分はあるのだが、こちらの方が比重は高い。

(私たちの仕事を一人芸者と表現した人もいたが。)

一方、皆さんのビジネスはパーソナリティが全て。

少しは身体に対するソリューションはあると思うが、

究極的にはその人と合うか合わないか。

これについては体癖の論点で書いているからお分かりかと思うので詳しくは書かない。

さて皆さんには『発動条件』があるだろうか。

もしあるとすれば、まだまだである。

無意識的に発動していなければならない。

つまり、日常がもうその状態で無ければならないのであるが、

どこまで何が出来ているのだろうか。

ブログをUPするのは1ヵ月以上先なので、正確に書いておこう。

9月の半ば頃にあるアドバイスをした。

このアドバイスをしながら、このブログに全部書いているなと思った。

もちろん、このブログに書かれている事が100%実践されているなんて思ってはいないし、

読んでいただいている方々にはある特徴があるので、

なかなか理解が深まらないのも分かっている。

その上でこのブログを書いていた時の私の思いを思い出してみると、

やはりこのブログは皆さんにとって汎用性が高いものだと思う。

このブログでは何人かにフォーカスをして書いていた。

3部作なんて事も書いた。

これらは書く事を目的としたものから、

書かずにはいられないと思ったから書いたものがあった。

これらを書き続けた結果、ある程度の事については網羅的に書いたと思っている。

このブログの最初の頃のMの過程。

これは手技が上手くなっていく過程の話。

この話はあるランクまで達する為に必要な事が書かれている。

(本人のブログには途中からだが、彼の中で何が起こっていたか赤裸々に書かれている。)

一方、感覚の世界でしか話さない方々のやり取り。

これらはそれぞれが感覚でしか話さないのに、

何故か理解し合える世界があるという事を提示した。

つまり、相手が感覚で喋ってもその過程もしくは同類の経験をしてきた人とは通ずるのである。

そしてFとTの世界を表現したブログ。

この2人に対しては私が私なりに解釈した事を書かせていただいた。

そしてある意味で彼らが到達した領域とはどんな領域かを提示した。

手技の世界はこれらの事で書かせていただいたから、

どこまで読んで理解できるのかで

その人のランクが分かってしまうというブログに結果的になった。

その他に人として総体的な特徴について書いている。

私がどこかのブログで書いたように『書ききった』というのは、

ほんとにそうだったんだなと今更ながら思う。

さて『改めて』このブログを読み返してみませんかというブログです。

そういえば、このブログの使い方なんて事も書いておりますので、

あの頃の自分と今の自分を観察する意味でも『改めて』いかがでしょうか。

先日、Yから『葬送のフリーレン』を借りたので読んでみると、引っかかった言葉があった。

それがくだらないである。

フリーレンはくだらない魔法を報酬で受け取る。

このくだらない魔法をいつも古代からある伝説級の魔法だと言って喜ぶ。

これに対して、フェルンやシュタルクはくだらないと言う。

これは型なのだろう。

さてこのくだらないだが、別の意味で書くなら、こだわりなのではないだろうか。

分かりやすい例えで言うと、Kはあるアイドルの推しをやっている。

これに対して、私たちはきっとくだらないと思っている。

しかし、これを口に出す事は無い。

別に言っても意味は無いし、言っても何も変わらないから。

Kが自分で選択し、くだらない事にお金を使うだけの話。

しかし、Kにはあるこだわりを持って推しをやっている。

ただそれだけである。

さて皆さんにもこんなくだらない事を集めたり、活動していたりしているのではないだろうか。

このくだらない事が何かの動機になったり、何かの思考のヒントになったり、

そうして人生を重ねているのではないかと思う。

自分にとってやっている活動で『くだらない』事って何だろう。

これを探す事で何かのヒントが見つかるのかもしれない。