葬送のフリーレンから見る手技の世界vol.9 | 解聞鏡

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クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

今回は原理が分からない。

このテーマで書いてみようと思います。

 

このアニメでは原理が分からないものとして、呪いと聖典の魔法について語られています。

フリーレンはこれらを原理が分からないので面白くないと言っています。

さてこれを手技に当てはめると、

皆さんの手技は基本的には魔法ですので、原理が分からない事はありません。

この原理についてほぼ語ってらっしゃる方がいらっしゃいます。

それがY2です。

Y2はほぼ全てを身に付けるにはどのような習練方法をやれば

という視点からアドバイスがされます。

このアドバイスは全て正しいのですが、問題点があります。

それはY2が若くないからです。

Y2の言っている言葉は私のような同年代なら当たり前の事ですから、

とてもとても納得がいく言葉たちです。

しかし、この言葉たちは若者にとって厳しい言葉に聞こえてしまう。

こんな特性があるのだと思います。

ほんと重要な事を言ってるのになぁと思いますが、若者は受け取れきれない。

これはこれで良いのだと思います。

真剣に何かを身に付けるには?という問いを発すれば、

厳しい言葉なんて乗り越えるしかないと気付くはずですから。

 

話を戻します。

原理が分からないものです。

この原理が分からないものについて、手技でもこれが起こっています。

道場に来られている方々には動画を提供しておりますが、

あの動画を見て目で盗めているでしょうか。

盗めているとしたら、原理が分かるから盗める。そして表現できる。

しかし、盗めていないとしたら、原理が分からないから盗めない。

これは残念ながら、自分の力量が足りていないから盗めないというのが事実であります。

自分の力量が無いと分からない。

力量を上げる事でしか分からない世界がある。

これは残酷ながら社会のシステムであります。

これを踏まえた上で力量を上げていくとどうなるか。

これはFがある方に言われた言葉で表現されています。

「Fは何でも手技に変換してしまうね。」

ある事象を見て、自分がどう表現するか。

これは私が言っている言葉でも別の表現をしている事があります。

「世の中に出ている型を見て、完全にパクれるかで自分の力量を知る。

 パクれている間はOKだけど、

 パクれないという事実が出て来た時には自分の力量が不足している証明になる。」