こんにちは、Naoyaです。
先日、とある方のセッションにて、
自分の親や近親者が亡くなっても
まったく悲しいという感情が出てこない
という話を聞きました。
決して感情を抑えているわけではなく、
冷静に受け止めてしまうらしいのです。
でも、本当に悲しいと思うときには、
悲しいという感情がちゃんと湧き上がるし、
涙も自然と出てくるそう。
それが親の死に対してないのは、
自分が冷たい嫌な人間だからじゃないかと、
ちょっと不安が過っているとのことでした。
僕のカードリーディングによれば、
レフア Lehua のカードが
クリアすべき課題として出ていて、
「死をただの過程のひとつとして受け止めるだけ。
それはそれでいいと思います」
という解釈でお伝えしました。
親の死をただの人生の過程のひとつとして
受け止めているだけということで、
決して冷たい人というわけではないのです。
レフアは死を意味するカードでもあります。
古代ハワイアンは死を恐ろしいものや
永遠のものとして捉えるわけではなく、
別の世界へ入るための準備のときに、
魂が通過するひとつの段階だと考えていました。
まさにその考えを、
そのまま採用すればいいということです。
でも、親や近親者が亡くなったにも関わらず、
まったく悲しまずに冷静でいるということは
ちょっと変なのでは…と、
周りの人たちに思われることが多いらしく、
そこの部分を気にしていたのです。
僕としてはカードリーディングを抜きにしても、
それはそれでいいと思うと伝えました。
親に対する思いや考えや、
親とその人の関係性や確執のようなものは、
その当人にしかわからないものだからです。
*****
僕の親しい友達は若い頃に、
父親が嫌いだと年上の知人に話したとたん、
「いやいやいや。そんなこと言っちゃダメ。
君も大人になれば、親の気持ちがわかるから」
みたいなことを頭ごなしに言われたことがあり、
「こいつに何がわかるんだ」
と、思ったのだそう。
友達は当時、まったく家族のことを考えず、
やりたい放題だった父親の素行の悪さに呆れていて、
とても大変な時期を過ごしていました。
そんな当事者にしかわからない苦しみや辛さを、
「親という存在=ポジティヴなもの」
という世間にありがちな常識に当てはめて、
否定したり一喝してしまうのは、
ちょっと違うんじゃないかと思います。
その友達は50歳近くになった今、
父親の素行の悪さの原因や理由がわかったものの、
素行の悪さを「よし」とはできないし、
もしも父親が亡くなったとしても、
それを決して美談にはしたくないし、
悲しいという感情は湧いてこないというのが、
今の自分の正直な気持ちだと淡々と語っていました。
まさに、当事者にしかわからない気持ち。
僕はそれでいいと思うと友達に伝えました。
「親という存在は子にとってポジティヴなもの」
これってまさにマジョリティな見解であって、
「そうであって欲しい」という
多くの人の願望も含まれているように思えます。
そして、それに従わないとダメみたいな風潮が、
どこかあるようにも思えます。
だからこそ、親から虐待を受けている小さな子でも、
親の元で過ごすことを優先させる間違った選択が起きて、
事件に繋がってしまうんだと思うのです。
そこが先日のブログで語った男性性、
つまりマジョリティ、多数派ということです。
もう、多数派に従うことはない時代です。
*****
自分の見解というものは随時変化しているから、
今後も変わっていくかもしれないし、
そのとき、親や近親者の死から気づくことが、
遅れてやってくるかもしれません。
でも、そんなのはそのとき感じればいいことで、
「今」の時点ではわからないこと。
だからこそ、今、自分がこう思うんだとか、
こう感じているんだという
自分なりの心の動きを信じて、
その動きと一緒にいるだけでいいと思います。
昔、祖父が亡くなったときのお葬式の席で、
僕は僕なりの悲しみみたいな感情と
ぼんやり一緒にいたのですが、
その横で従姉妹たちがテンション高めに、
みんなで一斉に泣き始めました。
祖父が亡くなった悲しみを、
みんなで共有しながら表現することが正しい
みたいな空気感が一気に漂い始めて、
ちょっと居心地が悪い感じがしました。
自分には自分なりの感情の動き方があって、
人にはその人なりの感情の動き方があります。
それがふと他の人たちとシンクロするように
共有できるタイミングもあれば、
まったく共有できないこともあるでしょう。
でも、無理に共有する必要はないですし、
比較するものでもありません。
どっちが正しいとか間違ってるとか、
どっちが上でとか下でとか、
そういう判断を下すことでもありません。
多数派の中に自分が少数派として存在するには、
寛容な自己承認が必要です。
もっと自由に、自分らしさを大切に。
世の中の風潮に支配されることなく、
自分の心の動きや選択するものを信じてください。

