50m先から、おばさん達のけたたましい笑い声が聞こえてきた今日この頃、皆さん明るい話題の無いこのご時世で心から笑える事はありますか?
遠くから聞こえるその声は目の前の烏の鳴き声すら霞んで聞こえる程。
いったいどんな笑い方をしているのでしょうか。
やはりおばさん式発笑法なるものが存在するのかもしれません。
薄ら笑いとにやつき笑いしかできないガイハさんは習得する必要があるのかもしれません。
あーひゃひゃひゃひゃ。
先の読める映画程つまらないものはないと言われますが、コントの世界では、先が読めていても、それがあまりにもくだらなかったり、馬鹿馬鹿しいものだと、予想できるオチを今や今やと期待してしまうもの・・・皆さんもそんな経験ありませんか?
バナナの皮で滑ったり、上空からタライが降ってきたりと誰が見てもわかるシチュエーション程、素直に笑えるものでしょう。
ところで、先日心地良い冬の孤独”愛好家のガイハさんは17度の雨空を前にある決断を迫られてました。
半袖か。
長袖でか。
もしくは七分か。
半袖で外に出れば風邪を引くのが目に見えています。
しかし、寒さを実感したい!
秋を感じていたい!
物事の真理は身を持って体感しなければ理解する事はできません。
好奇心や探求心が本能の中で体を動かそうとしています。
ここで長袖を着たら男じゃない!
まして七分なんて中途半端な事はできない!
半袖で駆け出すガイハさん。
寒い寒いと身を縮めながら秋を実感。
『ゆぅき~ゃコンコンッ!!(違)』
刹那の幸福。
…そして次の日、熱を出しました。
興奮の熱か、はたまた”ただの”風邪か。
薄着で発熱、誰もが予想できるオチな上にたいして笑いにも変える事ができません。
そこにあるのは後悔と自己嫌悪のみ。
半袖の青春。
そして、本日は天井がひっくり返る程の倦怠感に吐き気、高熱、もう無理です。ぱぴるす。
嘘です。言い過ぎました。
熱はあれど、そこまで酷な状況ではありません。むしろ、ぱぴるすって。
風邪の時くらい、弱弱しく見せたいじゃないですか。
病人らしい態度でいる事が、謙虚な病人としての気配りであり、同時に病人だけが許される"労(いたず)きの特権"でははないでしょうか?
心配されるのは嬉しいものです。
だからこそ、心配かけるだけかけておいて、差し延べられた手を振り解き、
『これくらいたいした事がないし!』
とハードボイルドを気取る…これこそが本物の大和魂ではないでしょうか!?
…違う?
大いに違う?
ふざけるな?
違いますよね。
ただ捻くれてるだけですよね。
こんな事を言うから、本当に風邪をひいても心配されないどころか、仮病だと疑われてしまうんでしょうね。自業自得。
病人らしく謙虚に細々しく生きます。