ボン ジョヴィ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

追記します。

Bon Jovi

ジョン ボン ジョヴィ(ヴォーカル ソングライター)

 

 

                             ガーディアン  2024

 

〇ジョン ボン ジョヴィの正直なプレイリスト


●私の人生を変えた曲


  ブルース スプリングスティーンの「ボーン トゥ ラン」だね。私はニュージャージーで育ったので、Eストリート バンドからロックンロールを教え込まれたようなもので、彼らは地元のヒーローだった。

 

 


●パーティーでかけるのに最適な曲

 Livin' on a Prayerかな。みんなが歌詞を知っているからね。ラジオやパーティーでこの曲を聴いたらどう思う?驚きと面白ささあるよね!


●最もストリーミングした曲
 

 Spotifyが、エド シーランのTidesが私のリストの1位だと教えてくれたんだ。大好きな曲だよ。彼とは5、6年前にソングライターの殿堂のイベントで知り合って、連絡を取り合って親しくなった。彼は私の家に泊まったこともあるんだよ。


●今聴いている曲


 ボン ジョヴィの『Legendary』、新譜『Forever』に入っていて、とても楽しい曲だ。私の新しい4部構成のドキュメンタリー『Thank You, Goodnight』もそうだ。 ボン ジョヴィの40年のキャリアを振り返るドキュメンタリーだ。初めて観て感動したよ。亡くなる直前に自分の人生が目の前でフラッシュするのを見るってよくいうよね。幸いなことに私はまだ死んでいないけどね。
 

 

●私が書きたかった曲


  ドン ヘンリーの『The Boys of Summer』の歌詞とメロディーは、いつも私の心に響いてきた。先週、ドンに偶然会い、彼がこの曲を歌った後に私が腕を組んで言ったんだよ "本当にあれを私が書きたかったんだ"。


●もう聴けない曲

 

  R2-D2 We Wish You a Merry Christmas”(1980年のスター ウォーズをテーマにしたアルバム『Christmas in the Stars』より)。その時、僕はレコーディング スタジオの雑用係をしていて、プロデューサーは若い声を必要としていたんだよ。最近になって僕がこの曲を歌っているのをみんなに再認識された。今ではいつでも聴かされているよ。

 


●朝、私を起こしてくれる曲


  今日はビートルズの『グッド デイ サンシャイン』。彼らを初めて聴いたとき、まるで別の惑星から来たような感じがしたのを覚えている。彼らはとても楽しそうで、時代を超越した名曲の数々と楽曲のレコーディングの過程は、誰も目にしたことのないものだった。エド サリバン ショーでマッカートニーがウイングスで演奏したのを見た後に、また遡ってビートルズを再発見したことを覚えているよ。


●カラオケで歌う曲


  人生で一度だけ、チャリティー イベントでカラオケ バーに行ったことがある。私は偽のカツラと口ひげでバーテンのふりをしていた。


●どうしようもなく歌詞を全部知っている曲
 

  Love Me Doのような初期のビートルズの曲。私の家では初期のビートルズのレコードがかかっていたんだ。
 

 

●密かに好きだが、人には嫌いだと言っている曲
 

  PSYの「江南スタイル」。マカレナみたいなニッチな曲だけど、ダンスを覚えずにはいられないから。

 

●私の葬式で流してほしい曲
  

  ワムの「Wake Me Up Before You Go-Go」!
 

 

 

                チートシート 2020

 

 

◎スターンは、ボン ジョヴィと一緒に出かけたときに、マッカートニーを見かけたときのことを思い出しました。ボン ジョヴィは彼に「ビートル ポール」と呼びかけていた。マッカートニーもボン ジョヴィのその呼び方に疑問を持っていた。

 

 

    僕はポール マッカートニーに出くわすたびに、10代のファンに戻ってしまうんだ。イーグルスの演奏を見に行った時に彼に会った時、僕は彼を『ビートル ポール』と呼んだ。彼は『なぜビートル ポールと呼ぶんだ?』と言ったので、僕は『あなたを(ミスター マッカートニー)と呼ぶには年を取りすぎているし、あなたを(ポール)と呼べるほど親しい間柄だと思うにはあまりにもあなたに畏敬の念を持ち過ぎているからです。』と言ったんだ。その時に僕から『じゃあ(陛下)と(ビートル ポール)のどちらがいいでしょうか?』と言ったら、彼はその呼び方をOKしてくれたんだ。彼は神の為のビートルズの一員であると同時に、きっと君が人生で出会う人の中で最も優しい男性の一人なんだよ。

 

 

◎ボンジョヴィの妻、ドロテアとマッカートニーの妻は、ミュージシャンたちがお互いに会うための計画を立てた。

 

 

 妻がセッティングしてくれたんだ 。彼女が言うにはプレイデートだそうだ。彼女とナンシーは仲良しだから、ナンシーに『ジョンがポールを招待したいと言っている』と言ったんだ。それでポールが一人で自宅に現れたんだ。私たちはソファに座る。私は、今度のレコードから何曲も彼に聴かせた。私はこのアルバムをとても誇りに思っているので、彼のために演奏することに何の問題もなかった。

 

 

◎ジョン ボン ジョヴィとポール マッカートニーはギターを共有していた。ボン ジョヴィはまだレコーディングしていない曲があったので、それをマッカートニーのためにライブで演奏した。

 


 週末にエルパソとオハイオ州デイトンで銃乱射事件があったので、ある曲を作ったんだ。私はこの曲にとても興奮し、誇りに思っていたので、実際にギターを手に取り、彼のために演奏した。これは18歳の私だったら出来るかもしれないが、50歳の私には怖くてできない様なことだ。


◎マッカートニーは、ボン ジョヴィのスチールギターを借りた。

 


 彼は左利きだから、僕のギターを裏返して、僕が弾いた後に一緒に曲の内容を繰り返してくれる。彼は(ビートル ポール)だから、心の中で何度も何度も演奏していたんだよ。
 

 

 

◎貴方にとってポールマッカートニーとは。

 

 

 10代のあこがれの人だね。そして今でも私の心の中に居る人なんだ。そしてあふれる才能だよね。彼は優しい人なので親しく話をしてくれるんだけど、ミュージシャンとしては決して近づけない人だね。

 

 

 

        バークス2021

 


  レコード会社は当時、ボン ジョヴィをハード ロック バンドとして売り出していたが、ジョンには違う見解があったという。彼は英国の新聞『The Guardian』のインタビューでこう話している。「僕は、(カーズやブライアン アダムス、それかポップなグループとツアーしたい)って言ったんだ。でも、マネージャーから(いや。君たちはジューダスプリーストやキッス、スコーピオンズなんかとのプレイを学ぶんだ。彼らのオーディエンスには忠誠心がある。ポップのオーディエンスは移り気だ)って言われた。

 

ビートルズカヴァー

バイデン祝福の為のカヴァー

 

 

 

 

 

レノンカヴァー

 

 

 

 

 

 

 

リッチー サンボラ(ソングライター ギター ヴォーカル)



            ミュージックレイダー 2009

 


 僕の最も古い記憶の一つは僕の家のリビングルームの床の上に足を組んで座って、白黒のテレビでエドサリバンショーでのビートルズを見ていたことだった。

 


 僕はその時、5歳で(ワオ!)って思ったことを覚えている。それは僕がしたいことだった。それは変わっていることだったんだ。なぜなら大部分の5歳ぐらいの年齢のアメリカの子供は消防士か警察官か野球選手、あるいは大統領になりたいって思うんだから。でも、僕は違った。僕はビートルズの一員になりたかった。



 彼らは今まで見てきたものの中で一番信じられないものだった。僕はその時に彼らとの出会いをいかなる歴史の前後関係にも入れることができなかった。僕はそれをケネディ暗殺、または何か別のものと同列と評価することができなかった。だけど辛うじてその出来事が僕らの人生を一変させる何かであろうことはわかっていた。でも、それは僕だけにではなく、みんなにとってもそうだったんだよ。
 


 もちろんビートルズは見ていると、ただただ楽しかった。テレビでビートルズを見ることはかつて巨大な爆発だった。彼らのエドサリバンショー出演はみんなにとって、とても大きな出来事だった。すべての女の子の叫び声と狂った行動はエルビスでも同様に起きただろう。でも彼は僕の世代以前の人間だった。女の子がビートルズを見て起こした出来事をみて、男の子達は(これは僕がしたいことだ)って思った。



 僕の家族は全員ビートルズに夢中だった。他の子供たちの親は子供たちにビートルズを見せないようにしていて、彼らのレコードを買わなかった。髪も伸ばすことを許さなかった。だけど僕の両親は違った。ありがとう。神様。



 それは多分、僕の両親がダンサーだったからだと思う。 彼らはボールルーム ダンサーだったんだ。だからたくさんの音楽が家庭に流れていた。両親はすぐにビートルズの音楽を手に入れようとした。ファブフォーが関係する限り、僕と家族の間には年齢のギャップがなかった。僕はそういう面で本当にラッキーだった。なぜなら他の子供たちはビートルズのレコードを聴くためにうろつかなければならなかったからね。



 僕はビートルズを立ち入り禁止の様に見做していることについて全く理解できなかった。まるで裸か何かが内容の中にあるから、素晴らしい芸術作品を閲覧禁止にするようなものだと思っていた。なぜそんなことをしたい人がいるのか?そういったことは全ておかしなことだと思っていた。



 僕にとってギターを弾いたりバンドに参加したのはずいぶん後の事だった。10代の初めなんて全然だった。だけど心の中ではいつでも僕はロックスターになりたいんだってことがわかっていた。それはビートルズがそうさせたんだよ。僕はかつて寝室の前の鏡に立って、レコードをかけ、人々がそれを(エアギター)と呼んで知られることになる以前に(エアギター)をしていたんだ。

 

 僕はきっとフェイバリットビートルを持っていないと思う。ビートルズの特定の歌を歌っている4人になら僕は誰にでもなりたかった。それが(ヘルプ)なら、僕はジョンだった。それが(ミッシェル)あるいは(サージェントペパー)ならポールだった。ギターソロの間なら僕はたぶんジョージだっただろう。そしてリンゴが歌っているか、驚異的なドラムを叩いた時には、僕はリンゴになることを夢見ていただろう。

 


 ビートルズは時代を反映したが、同時に彼らは時代を定義したんだ。彼らは物事を最初に行い、みんながそれに従った。



 そして、それ以上にビートルズはさらに重要なことをした。彼らは人々の気分を良くした。人々に希望を与えた。彼らは人々をまとめた。40年、50年後まで彼らは同様なことをしている。僕がビートルズから与えられなかった事はあるのだろうか?



 ビートルズのファイヴァリットレコードを選ぶなんて不可能だよ。もし無人島に一つのビートルズのレコードだけ持っていけると言われても無理だよ。その時には僕は無人島に行くことを拒否するよ。

 


 ビートルズのアルバムは変わっていて美しい。君がビートルズのレコードを聴いていないとそのアルバムは変化するみたいだ。君が初めて(ホワイトアルバム)を聴いた後、君は数か月後にはそれをどこかに片付けるだろう。その後、君がまたそのレコードを聞き返すと、まるですべて新しいレコードを聴いているようで、君は以前には聴いていなかったビートルズの違った部分を聴くことになるだろう。そういった事は他のバンドには起こらない事なんだよ。



 彼らはどうやってそれをしたのか?それは大きな謎だ。4人の男たちがどうやってあんな短期間でそういった偉業を達成したのか?僕はジョージマーティンとポールマッカートニーと話をしたことがある。だけど彼らはどうやってそれをしたのか説明出来なかった。だけど、僕を信じて欲しい!僕はその謎を解明したいと思っているんだ。



 僕は(天才というものはただ現れるものだ。)と思う。それは説明することが出来ないし、同じことは二度と繰り返されない。ただただ、感謝するだけだよ

 

 

 

 

 

 僕はレスポールもポールマッカートニーも愛しているから、レスポールによる素晴らしい演奏を持つこの楽曲をカヴァーすることはとても嬉しかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティコ トーレス(ドラム)

 

 

 

        antiheromagazine  2016 

 

 

◎もし、あなたが逆の立場でインタビュアーの椅子に座ったとしたら、個人的なインスピレーションやアイコンなど、誰を選んでインタビューをするでしょうか?


 アイコンにどんな質問をするかってこと?いい質問だね。何人かはいるんだけど、クールなのは。。。。会ったことがある人が多いから思いつかないんだよね。 一人はマイルスデイビスだね。私が彼にした質問は、(どのくらい音楽を愛していますか?)というものだった。そして、その答えは興味深かった。(音楽は俺の一部であり、お前の一部でもある。)という答えだった。それは私が直接訊いた質問だった。もし他の人に聞くなら、考えさせてくれ。なぜなら、人からもらったシートに書かれていない質問をしなければならないし、その人がどんな人なのかを知るために質問を並べなければならないからね。一番いい質問は、「なぜあなたは自分の仕事をするのか」ということだと思う。そして、私が出したその答えは「好きだから」だよ。

 


    

◎プロのミュージシャンとして長い間活動してきたあなたにとって、音楽との出会いは何だったのでしょうか。あなたはその瞬間を特定できるでしょうか?



 面白い話があるんだ。私が子供の頃、ビートルズがニューヨークに来ていて、私もニューヨークに住んでいたんだけど、母がエドサリバン ショーのチケットを手に入れてくれた。そして、私は二重のレインコートを持っていた。裏返すと普通のコートで、外側がレインコートになっているものを着ていたんだ。そしてショーに向かう途中、母は私にチケットを持たせてくれたんだけど、そのコートにはたくさんのポケットがあった。そして、会場に着くとチケットを見つけることができなくて無くしたんだ。だから、最初に行くことになっていたショーがビートルズだったんだよ。それがきっかけで音楽にのめり込んだんだと思う。それで、母は悪いことをしたと思ってもう一度「エドサリバン ショー」のチケットを用意してくれたんだ。その時にはフィフスディメンションを見たんだけど、これはもう全然ダメだったね。しかし、その出来事が私を飛躍させてくれたんだ。私は確かに行かなかったショーなんだけど、音楽的に私をミュージシャンにしたいと思わせてくれたバンドはやはりビートルズだろうね。


 

 

  音楽は常に時代を超越していると思う。ビートルズが出てきたときのことを覚えている。彼らの音楽は当時より強くはないにしても、いまだに強いと思う。だから、みんながそれぞれ一緒に育った音楽とずっと一緒に育っているんだと思うし、僕らの音楽が若い人たちと一緒に育つことになるのは良いことだと思う。

 

 

 

 

 

ヒュー マクドナルド(ベース)



               バレン  2007


◎貴方がベースを持った理由はなんですか?



 ビートルズだよ!もし、ビートルズがなければ今の自分はないよ。エドサリバンショーで見たんだ。演奏面でポール マッカートニーとモータウンのジェームス ジェマーソンからは多大な影響を受けた。最初はほうきを左利きで構えて演奏をする真似をしたり、マッカートニーのサインの練習をしたよ。



◎ ビートルズの誰かにあったことはありますか?



 ポールとは少しだけど同じステージで演奏した。その後、彼の後ろに長い間ずっとついて歩いてたら、彼は根負けして(笑)僕のヘフナーのマッカートニーモデルのヴァイオリンベースにサインしてくれた。



 リンゴとは70年代に会った。プロデューサーのアリフ マーディンのつてがあって、彼のアルバムで演奏する事が出来た。ジョージとは彼の最初のツアーの時に挨拶することが出来たから、ジョン以外には会うことが出来た(満面の笑み)。ビートルズの話をすると顔がゆるんでしまう(笑)。

 


◎本当に好きなんですね。

 


 もちろん。僕は70年代初めにはニューヨークでプロのベースプレイヤーになっていた。その後にポールの(ラム)っていうアルバムのオーディションの話を聞いたんだ。僕も行こうかと思ったけど、もちろん僕はベースだから応募しなかったんだよ。ポールに会うためにギターを抱えて行こうかとも思ったけど、僕のひどいギターの腕をポールに聴かせなくて良かったと思うよ(笑)。

 


 (ラム)はポールマッカートニーの作品には珍しく、アメリカっぽいんだ。それはアメリカのミュージシャンが演奏したからなんだけど、ローリングストーン誌はそれをひどくそれを罵倒していたよね。本当に愚かな事だった。でもその時から間違っているのは彼らだって判っていたよ。なぜなら、そのアルバムは演奏も楽曲も素晴らしかったからね。その出来事は個人の感情なんて(本物)を前にすると時間の流れによって吹き飛ばされるってことを理解させてくれたんだ。。
 

 


 

              パークレコード 2013

 


 僕はビートルズのおかげで今も音楽をしているんだよ。僕はもう年だろ?かつて、僕はエドサリヴァンショーでビートルズを見たんだよ。僕はビートルズを見て、彼らと同じことをした。僕にとって、ポール マッカートニーの存在はなぜ僕が今日もベースを演奏しているかについての100%の答えなんだ。



 僕には取り替えられないものがあるんだよ。一つはポール マッカートニーにサインしてもらったホフナーのヴァイオリンベース、もう一つはイギリスの女王と一緒にとってもらった写真だよ。
 

 


             ベースプレイヤー 

 ポールマッカートニーは偉大なミュージシャンであるとともに偉大なベースプレイヤーだった。彼は自分で曲をつくり、演奏した。そしてコンサートを世界中で行い、プロデューサーやレコード会社に恐れず意見を言った。そして、結果として彼は僕らに仕事を与えてくれたんだ。

 

 それからロックベースプレイヤー、いや、すべてのベースプレイヤーは他の楽器と違い、一番優れたベースプレイヤーを見落とすことはなかった。なぜなら、その人物はビートルズにいたからだ。それは彼の指が速く動くとかそういった意味ではなくて、楽曲にどういった効果を与えたかという意味でだよ。例えば初対面のベースプレイヤー同士が話をする場合、ビートルズの話をすれば良かったんだ。それが共通の話題だった。ポール マッカートニーはエレクトリック ベースギターという短い歴史の楽器においてきっと大きな貢献をしたと思うよ。