追記しました。
桑田佳祐
ポップス歌手の耐えられない軽さ 2021
◎いきなりですけど、質問してよろしいですか? 無人島に一枚だけアルバムレコードを持って行くとしたら、あなたは一体何を持って行きますか?
ウーン悩む、これは悩みますなぁ。 でもそうね。アタシだったらやっばり『McCartney』 だろうなぁ!!その名の通り、ポール マッカートニーのファースト ソロアルバムでございます。 ザ ビートルズが解散することになって、メンバー各々がバラバラに活動するようになった頃、本丸のアルバム 『Let It Be』に抗うがごとく、周囲の反対を押し切ってまで発表したのが、ポール様のこの一枚でありました。
世紀のバンド解散という、大事件の最中だったせいか、アルバム全体に、どうにも拭い去れない孤独感がこびりついていて・・・。 アタシにとっては、そこがなんとも無性にタマラナイのであります!! 一九七〇年四月に発売。 全英チャートこそ二位に甘んじたものの、アメリカの「ビルボード」誌では三週連続の一位を獲得。 年間ランキング第九位。アメリカだけで二百万枚の売り上げ……。
まあ、この結果だけ見れば、さすがポール様だと言えましょう。 しかしながら、当時の音楽評論家やマスメディアからは、相当に「こき下ろされたり」「酷評されたり」といった、手厳しい洗礼を浴びる事となった 『McCartney』。典型的なビートルズ ファンも含め、「頭の硬い」「保守的な」人たちにとっては、パーソナルな要素が随所にちりばめられ、収録曲の半分くらいをインスト ナンバーが占めるこのアルバムを、「駄作」と捉えた向きも多かったようであります。(はい、正直アタシも当時はそう思いました。) いろんな意味で、その時代は彼にとって分が悪かったり、逆風が吹いていたんでしょうなぁ(汗)。
今から五十年も前に出たこのアルバム。 最初の思いはどうあれ、今日までアタシは、何百何千回とコレを聴いて参りました。 確かに「名作」とは言い難いけれど、「今の時代が追いついた」としか言いようがないほどの斬新さと奥深さ。アタシの人生において最も「心の拠り所」となったのが、この作品であります!!! 今でこそ 「宅録」など当たり前の時代。ビートルズ解散のゴタゴタで、身も心もズタボロとなったポール様。自宅に引き籠り、四トラックの録音機材と向き合いながら、歌も演奏も全てひとりでやり遂げた、元祖「ハウス ミュージック」のようなアルバム。
ペン 2017
〇桑田佳祐の血肉となった秘蔵レコード22選
(桑田佳祐が持参した自身の音楽性と精神性を象徴するレコード22枚。桑田サウンドの源泉とはおもに欧米のロックと日本の歌謡曲、その双方のエッセンスが絶妙に融合して起こる化学反応だ。その一端を垣間見る意味でもきわめて興味深いセレクトである)
自分の血肉は?と言われたらやっぱりこういったレコードですね。僕のガソリンはこれで十分満タンです(笑)。
僕と同世代の人はひばりさん好きが多いみたいですね。昔はそれほどハマっていなかったんだけど、後年、ハワイでこのアルバムを見つけて聴いたら恐ろしくかっこよくて。すごい女性歌手と言えば、僕の中ではひばりさんがいて、次がユーミン、中島みゆき。ぜひ聴いてほしい。浅川マキさんはここ10年程よく聴いていて自分のラジオ番組でも流しています。
ボブマーリーのレゲエはロックが持っていなかった(よたり)具合に惹かれました。ビートルズは解散後にリリースされた各々のソロ作品が自分にとっての同時代体験。特にポールの(ラム)は確実に1000回以上聴いています。これはもし音楽稼業に就いていなかったとしても聴き続けていたと思う、青春時代のほろ苦い挫折を救ってくれた一枚なんです。先日ポールの武道館公演をみました。彼が(彼氏になりたい)を歌う姿に、ビートルズの武道館公演の頃の思い出がよみがえって。。。。もうぼろ泣きでした(笑)。
◎プラスティックオノバンド 平和の祈りを込めて
◎ポールマッカートニー&リンダマッカートニー ラム
◎ビートルズ オールディーズ
◎ジョージハリスン&フレンズ コンサート フォー バングラデシュ
◎ロバートフラック アイム ザ ワン
◎ボブディラン/ザ バンド 偉大なる復活
◎リトルフィート ウェイティング フォー コロンブス
◎ボブマーリー&ザ ウェイラーズ バビロンバイバス
◎ビリージョエル ザ ナイロンカーテン
◎ロバートフラック ザ ベスト オブ ロバータフラック
◎ニールヤング ハーヴェスト
◎エリッククラプトン E・C・ワズヒア
◎クリーム カラフルクリーム
◎キャロルキング つづれおり
◎Tレックス ザ スライダー
◎ザ ビーチボーイズ 終わりなき夏
◎美空ひばり ゴールデンヒットアルバム
◎内山田洋とクールファイブ スター ベスト ヒット エッセンス
◎いしだあゆみ ベストアルバム
◎加山雄三 ベスト40
◎浅川マキ 浅川マキの世界
◎坂本九 九ちゃんの唄 第2集
◎ポールマッカートニーとジョンレノンどちらですか?
隠れキリシタン状態でポールが好きだったことはありまして。どっちっていうんじゃないんだけど。でもやっぱり世界一好きなのはポールですね。
サザンはねえ、ビートルズになれると思ってたの。真剣に。あんときは、アメリカ進出とか、いろんな面で。野望というか、未来を描いてましたねえ。。。でもねえ、最近これは無理だなあ って思うようになったんだよね。やっぱりサザンはビートルズ にはなれない。サザンとして出来ることって、実はあのとき描いてたものと違うんじゃないかな、、ってね。 海外とかね、無理に向けなくても日本でいいじゃないって。。
優しい夜遊び
(フォーセール)の4人のジャケットがなんともいえない素敵な感じで好きだった。4人が一本のマフラーにくるまってて、何とも言えない素敵な、大好きなジャケット。ジョージハリスンの髪が逆立っていて、寝癖が気になってしょうがなかった。(ノーリプライ)はビートルズには良くあるけど、途中にピアノが出て来て、基本的にはドラム、ベース、生ギター1-2本と歌。そしてクラップが出て来て盛り上げちゃうというのはスゴイなといつも思う。
(We Can Work It Out)
これがビートルズの中で一番好き。この30年くらい変わらない。DからCに変わるコード進行って、それまで聴いたことなかったんだけど、小学校の時に聴いた時に (いつも通ってた道のキラキラした木漏れ日) が見えたよね。生ギターと、妙な音のオルガンがイイフレーズを弾いてて。良く聴こえるタンバリンと、良く聴こえないベースと、ドラムが入っていて。あとはポールの歌がダブルで入ってて、それだけで絶妙なバランスが出来てしまうという、ビートルズマジック。
私はずっとマッカートニー派なんです。マッカートニーが好きですね。来日当時は明らかにリンゴスターが人気だった。そしてマッカートニーあってこそのレノン。私の中では。だけど、ビートルズのリーダーはレノンじゃなきゃ、ヤダ派なんですよ。そして、結局、自分の命の次に大切な、大好きな音楽家、アーティストはマッカートニーなんです。
(シーズリーヴィングホーム)
今聴くと大きな編成のストリングス部隊ではないんですよね。もっとでかい編成かと思ってたけど。こういう時はマッカートニーは気を遣ったんでしょうね。(ジョン、ジョージ、コーラスやらない?)って言うんでしょうね。よくあるのよ。バンドってそういうことがね。めんどくさいんですよ。バンドって。この頃のマッカートニーってShe~ってやってそれで、ジョンやジョージがサビでおっかけていくこういう所ってなんかビーチボーイズみたいだなって思うんだけど、この頃意識していたんじゃないかなと思う。それから、マッカートニーの声ってものすごくいろんな声が出る。喉になにか埋め込んでるんだと思うけど。
軽井沢で、ジョンレノンが "雪駄" をはいて歩いていたのがイカシテた。ソフト帽にサングラスで、自転車乗ってパン屋行って。当時、北鎌倉にある鎌倉学園に通ってたんだけど、北鎌倉駅前にある (円覚寺) に、ジョンレノンが来たとニュースで言っていて、(擦れ違っちゃったよ。)と思ったんだけど。そのお寺で、修学旅行生がジョンレノンを見つけて、全員で『イエスタディ』を歌ったんだけど、それはポールが作った歌だから、レノンが (ムッ) としたらしいです。
(ガール)
この頃(ミッシェル)とか(イエスタデイ)とかポールがバンバン作ってくるからジョンはやべっと思ったんじゃないかと思う。この曲はいつも不思議に思う。悩んだのかも。サビの前はマイナーで終わるが、その前の繰り返す時はメジャー。コードを見ながら歌っている時、なんでサビの前はマイナーなんだろ?と、いつも思ってジレンマを感じてた。だけど、ジョンは感じなかったのかな?まぁいいやっとおもったのかな。
(ジョンレノン)っていう人は知らないけど、会ったことないし、強いでしょ?あの人。男として。もちろん弱さっていうは人間だからあると思うけどホントにあの人がいたら周りの人がビビリまくるような人物だと思うのね。暴力とか威力で威圧するんじゃなくてね、なんかボブディランもそうだけど、ディランとかレノンのなんかこのすごさっていうは頭の回転が鋭くて、舌鋒鋭くてね、うーん、なんか文化の匂いがするスタイリッシュな番長気質っていうのかな不良っていうのかな、そういう感じがするからオレとは全然違うんじゃないかな。
僕、ポールの声は出ないんです。あの強くて太い声がね。だからカヴァーしないんです。アイデアはあるんです。残念ながらポールの歌は日本人では歌えません。誰も歌えません。これは残念なお知らせですけど、はっきりいいますけど、ポールの歌は無理なんです。エコライザー埋め込んでますから喉に。
優しい夜遊び
(アナザーデイ)
4分の6、4分の3という変拍子が素晴らしく、ボディーブローのように効いてくる曲。ビートルズのメンバーがソロ活動を始めて4人分のレコードを購入しようとしたけど、リンゴスターは段々買わなくなった。最初の頃、ジョンレノンにはついていけないなぁと感じていた。
(オールマイラヴィング)
ベースがスウィングしているとことやシャッフルのビート、ジョンレノンのジャカジャカ弾いているギターが素晴らしい。
(あの娘におせっかい)
サウンドメイクがめちゃくちゃいいですよね。メジャーセブンを多用してる。ポールは100種類の声を出せて、特にホワイトアルバムから使いだした(マッチョマンボイス)がいいと思う。ポールの特筆すべき点はヴォーカルのピッチが良くて、つまり バンドの中でも、すばらしいヴォーカルが取れるっていう。これだけ良い曲をかける人間が、技術的に優れたヴォーカルがとれるっていう。。。。資質が高くて、天才ですよね。まあ。これもポールの楽曲の特徴です。歌が上手いってだけじゃないんです。ピッチが良いんですよね。
(Maybe I’m Amazed)
この曲は最初聴いた時に信じられなかった。めったにこんな曲作れないですよ。ギターソロのトップメロディが天才的だと思う。
アルバム(タッグオブウォー)
最高です。大好きです。ゲストのアーティストも素晴らしいし、歌が素晴らしい。サウンドメイクが凝ってます。
(ミッシェル)
ビートルズはコーラスグループとして素晴らしいと思う。この楽曲でのクリシェですよ。クリシェ企画としてのイエスタデイ2
(ブラックバード)
左チャンネルの靴の音が斬新で良いと思う。レディマドンナのピアノといい、この曲のギターといいピラミッドやガリレオ ガリレイの地動説と同等の価値があるよね。
(バンドオンザラン)
サウンドメイクのこり方が尋常じゃない。ジョンレノンはカリスマ性があるから本がおもしろい。ポールマッカートニーはとにかくサウンドが凄い。僕はポールのサウンド研究会を作ろうと呼びかけてました。
(ハイハイハイ)
ポールはグラムロックでも何でもなにをやらせてもうまい。ヘッドホンで聞いていても、新しい感じがする。この曲は今のレコーディングでも参考になる。
(ジャンク)
ジャンクは僕が生まれてから一番好きな曲です。こういう曲を聴くのも、いずれは僕がこういう曲を作らないといけないという思いも僕の生きがいです。これをはじめて聴いた時が僕は生涯で一番切なかった。これを聴いて死ぬのをやめたよ。
(カミングアップ)
1人多重録音で録ってるんだけど。ポールは100種類のボーカルスイッチを持ってます。
インタビュー
アルバム(ラム)
これは僕の一番好きなアルバム。。。ビートルズよりもどのアーティストよりも。。。自分でもこういうアルバムを作りたいって思ったんです。斬新だし、美しいし、勇敢だし、ポール以外の何物でもない。ある意味ここから始まったんですよ。その気持ちは今も変わらない。
(Free&Easy 2002年1月号 以前載せたものと新しいものをまとめます。。)
桑田:いままで寝かせておいたビートルズなんですけど。
インタビュアー◎:ジョンレノンの曲が中心なんですか?
桑田:うん。持論としてね、ポールマッカートニーの曲は歌っちゃいけないと思う、日本人は
◎どうしてですか。
桑田:ポールマッカートニーの歌を日本人がやると、まるで勘違いしたポールの甘美な部分だけを真似しちゃおうとするんですよ。なんとなくあの純な感じっていうか。でも、似ていなくて絶対異なるものになるんですよね、僕も含めてだけども。難しいんですよ。
桑田:僕はやっぱりジョンレノンという人のビートルズのなかでのワケの分からない立ち位置が好きでね。思想家とか愛と平和を歌う人じゃなくて、あのポジションが好きなんです。特に初期のジョンレノンが色気として好きなんですよねー。
桑田:いやホントはね、僕はビートルズではポールマッカートニーが一番好きなんですよ
◎え!そうなんですか? 家に行くとジョンの写真がいっぱい飾ってあるじゃないですか。
桑田:だからね、仏壇を裏っ返すとこうなんですよ、たぶん。隠れキリシタンみたいな。 やっぱり世界で一番好きなアルバムは何かって言ったら、ポールマッカートニーの「ラム」なんですよ。
◎どうしてそれを仏壇の裏に隠さなきゃいけない状況があるんですか?
桑田:日本人だからポールマッカートニーに手を合わせたら、ご本尊を裏切ることになるでしょう。やっぱり日本人にはねポールはできないんですよ、絶対に。ポールはロックンロールに関しては世界一ですよ。あの人、リトル リチャードでしょ?リトル リチャードより「のっぽのサリー」歌わせたら全然うまいですけどね。 そういう基盤があった上で、ポール マッカートニーは成り立っている。日本人にはその辺を理解できないと思うんですね。
そういう日本人が解釈しがちな、甘美なメロディーメーカーだという解釈になってくると話は違ってくるんです。基本がもう大ロックンローラーだから、その分母はすごいんですよね。それをなくしてポールをやるのは間違いなんですよ。 だから、日本人がポールマッカートニーをフォローしても、成功したためしがない。
◎だからジョンレノンでいくと。
桑田:ジョンレノンのほうが音域少ないんです(笑) そういう意味でもジョンレノンになりきることは儚くとも楽しいこと。 日本人でもあの独特の立ち位地ははまるんですよ。
◎ジョンの方が日本人の琴線に届くタイプの人ですよね。ポールよりも。
そんなことないと思いますよ。ジョンにはポールに対するコンプレックスってあると思うんですよ。ポールの「ヘイジュード」「レットイットビー」「イエスタディ」っていわゆる20世紀のバッハやベートーベンみたいな曲をジョンは作ってないですからね。そんなヤツが同じグループにいたら絶対嫌だと思いますよ。
◎ミュージシャンになってポールとジョンの違いについて気が付いたことはありますか。
ジョンは非常識というか常識にとらわれないんですよね。ポールが現実的ならジョンは非現実的な感じがします。歌詞も韻を踏まなかったり。(ストロベリーフィールズフォーエヴァー)はジョンにしか書けないでしょう。ポールには書けない。(イエス イット イズ)が僕の一番好きなジョンの曲です。この曲は決して非常識じゃないですけどね。でも一方でジョンにはポップスの王道を感じさせられることはありますよね。
ポールは決して手なりの曲を作らないんですよね。ポールの曲はコードに負けないメロディを持ってて、彼はメロディーに合わせてコードを作ってます。アドリブとアンサンブルを大切にしていて努力も感じます。ジョンやジョージは手なり、手癖で曲を書いてる感じがあるんですよね。ジョンやジョージはコード進行に合わせて曲を作ってるんですけど、ポールはメロディーなんです。そこが違いますね。ポールの(ジャンク)って言う曲は僕が世界で一番好きな曲なんです。
◎矢沢永吉さんにインタビューした時に矢沢さんが自分のことををジョンレノンだと思っていたけど、ある時、実はポールマッカートニーだと気がついたって言ってたんですよね。
矢沢さんはプロデューサー的な感覚がある人だと思う。あの人はミュージックメーカーとしてやっぱりプライドがあると思いますよ。そういう意味でのポールなんじゃないかと
1981年 音楽手帖
ジョンが死んだことで、なぜかポールが引き合いにだされ、そのたび、幼稚とか、コマーシャルに走りすぎとか、言われている。冗談ではない。ジョンがビートルズだという言い方があるなら、ポールがビートルズだ。今、このことだけは吐かずにいられない。ジョンの話は、ポールを認めてからのことだ。頼むよ。。って、言いたい。
最近、ビートルズらしさとはなんだったのか、ということをしきりに考えるようになっている。あのストロングタイプ、フリースタイルのミュージックは、とても一言では言えそうにない。ポールもジョンも重い。ヘビーという言葉にしてしまうと、またまとまり過ぎてしまうほど重いのだ。
ソウルフル、ハートフル。いや、そんなもんじゃないんだ。それ以前のところで僕らの身体がビートルズの黒さに応えていたような気がする。
世界が丸いから、僕にのしかかってくる。風が激しいから、僕の心も吹かれる。。「ビコーズ」の体験。身に覚えがあるんだ。
とてもよく、わかるんだ。ジョンは東洋的だ。そしてそんなジョンがそんな声で歌うから、僕も泣けてくるんだ。
ジョンの止まりをしらない空想が好きだ。
こうするとこうなるだろう、
するとボクはこうするから彼女はこう答えるだろうか、
困ったな、そしたらどうしよう、愛している心、
途中でわかってもらえなくなってしまうのではないかな、
それなら飾りもなにもなしにありのまま僕を伝えようか、
いやいや、それはこわいから、
やっぱりああしようかな。。
僕も実は性格が似ているんだ。
ところでポールのいつも春めいた雰囲気も羨ましいほど好きだ。
まるで太陽だ。あったかい陽ざし。
暑くない、あったかい陽ざしだ。
のどかだ。
それに、のどかでなければいけないとでも言っているようだ。
はっきり言って、リンゴって滅茶苦茶、かっこいいドラマーだ。
あれさえやればいいっていう感じで叩いている。
不足なし、余りなし。要するに、そこで叩いている。
「アイムダウン」のドラム、本気で聞いたこと、あるかい!?
僕らがめざす音っていうのも、リンゴがサジェストしてくれている部分がある。
そうさ、叩き出す音も、絶対にいいんだ!
「ロングアンドワインディングロード」はブルースなんだ。
半端じゃない。あれはレイチャールズが歌っても似合う歌だ。
クラプトンでもいい。
ドロドロ、混沌、哀愁の底からの声。たまらなくいい。
僕も行きたい。
僕もその境地に達したい。
僕はうぬぼれている。わかってる。
彼らの理解者として他の人には負けない。
僕なら彼らの気持ちを代弁してあげられる。
インタビュー
ジョンの人生はマッチョにも見えるけどどこかで予定外の事が一杯あったんだろうと思ってます。ビートルズはこのまま自分のバンドとしていけると思ってたのに、可愛がってたポールが(イエスタデイ)なんて作っちゃったから心底がっかりしたと思いますよ。でもそういう気持ちをすべて隠して生きたジョンの奥ゆかしさが好きでたまらないですね。
ジョンからは人間は優等生ばかりじゃなくても良くて、ジョンの様な人間であっても人生はリセットできるんだって言う事を教わった気がします。
江戸時代のたとえで言うなら僕はジョンレノンという仏壇を拝んでいるんですけど、その裏側にはポールマッカートニーっていう十字架を隠しているんです。
2011年 タワーレコード バウンス
いまになってもう一度ビートルズに帰ってきちゃった。ただ、90年代にはちょうど〈Anthology〉とかが、リリースされた頃でもあったから、自分でもエンジニアさんに教えられながら音作りを学んだりもしたんですけど、結局は彼らの曲そのものなんですよね。
ニールヤング、ボブディラン、ポールマッカートニー、エリッククラプトン……かなわないなあと思うんですよ。大好きなんですけどね。ただ、僕はもっと歌謡曲というか大衆的な音楽を作り続けていきたいという思いもあって。あと、映画を観ていると、〈このくらいの音圧がないと画には勝てないんだな〉とかって思うんですよ。そういう意味では映画から影響を受けることも多いです。ひとりでDVDを観てるとわからないこともあるんで、映画館で大勢の人たちと観ることが好きですね。なかでも去年の『NINE』なんかはサントラも好きでした
e days アビーロードの歩き方
◎ビートルズとはどのように出会いましたか?
中学2年くらいですかね。「ヘイ ジュード」とかが出た頃で、ラジオで聴いて"どっちかっていうと難解だなぁ"と思ってたんですけど、友達に『オールディーズ』を借りたんですよ。それですごいショックを受けて、さかのぼってどんどん聴き始めたって感じですね。だからいまだに家には『オールディーズ』のジャケットを飾ってます。それまでは新潟の田舎の子供ですから、ビートルズ文化というかビートルズに始まったロック文化にまるっきり影響されてなかったんですね。ヒットポップスを聴き始めたのもそのくらい。ちょうど「ヒット ポップス」という言葉ができた頃なんですよ。当時チャートに上ってたのは、セイガーとエヴァンス、マシュマカーン、ジリオラ チンクエッティとかね。クリフ リチャードもまだ頑張ってたし、ショッキング ブルーとかも好きでしたね。
――そこからアルバムを買い揃えていったんですか?
買い揃えるほど財力がなかったから、友達と分担して買ったりして。俺はこれを買うからおまえこれ買え、って。あとハンター デイヴィスが書いた伝記を読み漁りましたね。あれを真に受けちゃった(笑)。今読むといい加減なところも多いんですけど、「ビートルズは不良だった」っていう一節があって、ちょうど勉強に興味を失った時期に重なったんですよ。で、"あ、これでいいんだ"って思っちゃって(笑)、中3で勉強する気をなくしちゃった。それでも高校は入れたんですけど。
――ミュージシャンとしての生き方にも憧れた。
そうですね。ミュージシャンはこんなに好きなことができるんだ、って。ギターを持ち始めたのもその頃で、ちょうど全部が重なってった感じですね。でもビートルズは弾けなくて、フォーク ソングの簡単なやつしか弾けなかった。難しいと思い込んでたんですね、当時は。とにかくビートルズの音楽には魔法があって、僕らには解けない謎みたいなものがいっぱい入ってると思い込んでたんですよ。そこにコピーとかで立ち入ろうとすることは恐れ多い気がしてたんで、大学に入るまでコピーはしなかったですね。今、ビートルズは喫茶店でも聴ける時代じゃないですか。初めてそういうところで聴いたときは信じられない感じがしましたね。スピーカーの前で正座してきくような、神聖なものだったから。とにかく圧倒的に格好よかった。高校に入ってからフィルム上映会みたいのがあって、僕は新発田市なんですけど、遠い新潟市まで見に行ってましたね。動くビートルズと、それがどのように受け入れられていたかを見て、いろいろなことがやっとわかった感じでした。
――その時点で将来は自分もミュージシャンになろうと思っていました?
いや、なれるとは思ってなかったですね。自分たちで曲を作るっていいな、とは思いましたけど。コピーができなかったんで、いきなり友達とオリジナル曲を作り始めたりして。あと、僕はわりと英語が小さいときから好きだったんで、ビートルズの詞を訳してたりしたんですよ。
わけがわからないという意味では「ルーシー イン ザ スカイ ウィズ ダイアモンズ」とか。ちゃんとは訳せないんだけど夢が広がるんですね。サイケ文字みたいのを描くのも大好きで、よくラクガキしてました。「アイ アム ザ ウォルラス」の"私は彼で、あなたも彼で、あなたは私で~"っていうところとかは深読みしましたね。でもその頃はどれがジョンでどれがポールが作った曲かとかは全然わからなかった。どうやって作ってるのかも謎だったし。大学は青学に入ったんですけど、大学に関する知識も全然なくて、「青学にはビートルズ訳詩研究会がある」ってラジオで聴いたのがひっかかってて、じゃあ受けてみようと。で、他の大学に受からなかったのもあって青学に入ったんですけど、渋谷のあんなところにあるとも思わず、埼玉あたりの新設大学だと思ってた(笑)。でも東京に出られるってだけでウキウキしちゃって、入る頃にはもう訳詩研究会のことなんか忘れてましたね(笑)。で、軽音クラブみたいのに入るんですけど、その前に桑田(佳祐)との衝撃的な出会いがあって。僕は英文科なんですけど、英文科だけの英語購読っていう授業に知らない男が出席してて前の席の女の子を口説いてたんですよ、それが桑田だった(笑)。男が5人くらいしかいないから他学部の人間がいるとすぐわかる。その5人の中のひとりが桑田と同級生だったから、授業終わってから話したら面白いヤツで。それで軽音楽サークルに入ったら桑田も入ってて、ビートルズが好きだ、ビートルズをやろうって話になって大学で最初に組んだバンドがそのバンド。だから桑田との仲はビートルズが取り持ってくれたようなものです。あの頃は本当にお金がなくて、下宿も床が斜めなんですよ。ボールを置くと転がってくという(笑)。窓の隙間にもガムテープ貼ったりして。そんな暮らしをしてても楽しかった。上京するときに持ってった荷物はラジカセ一台ですから。今の人たちには信じられないかもしれないけど(笑)、それでも音楽をやってれば楽しかったんです。
――話は飛びますけど、ジョンが亡くなった日はサザンの初めての武道館公演の前の日だったと斎藤誠さんが言ってましたが。
あいつよく覚えてるなぁ(笑)。そうなんですよ。今日もリハーサルだっていう日の朝に桑田から電話がかかってきて、"今アメリカにいる姉貴から聞いたんだけど、ジョンが死んだ""え?"って。僕らの世代ではマイケルよりも大きなショックですよね。どうしたらいいんだろう、って感じでなかなかリハーサルも始まらなくて...友達で先輩で先生で親で、みたいな存在が亡くなったわけですからね。もう30年近いんですね...ジョンが死んじゃってからなんとなく魔法が解けちゃった感じはありますね。
――ベーシストとして、ポールのベースについてはどのように感じていますか?
もちろん影響を受けたし、今聴いてもいいなと思いますね。ジョージの曲とかでは結構遊ぶんですよね。自分の曲は歌わないといけないから簡単なフレーズにするんですけど。でもやっぱり他のバンドと比べるとベースのグルーヴ感がすごいですよね。飛びぬけてる。リバプールサウンドはおしなべて好きでいろいろ聴くんですけど、やっぱりビートルズのビート、グルーヴ感はいちばんだと思います。ポールのベースを語るときによく取り上げられるのは「サムシング」だったり「ペニー レイン」だったりかもしれないんですけど、実はもっとロックンロールっぽい曲のほうがすごさがわかりますね。しかも歌いながら弾いてる。「デイ トリッパー」なんて普通は歌いながら弾けないですよ。
――『ウクレレレノン』では「マザー」をやってますね。
(笑)あれはちょっと誰もカバーしないだろうというか、有り得ない感じのことをやろうかな、みたいな。やっぱり『ジョンの魂』は相当ショックを受けましたからね。高校のときに友達が『ラム』を買って僕が『ジョン魂』を買ったんですけど、ショックで眠れなくなった。音楽を聴いて眠れなくなるというのは初めてでしたね。あの中で「マザー」がいちばんヘビーな曲でしょ? それをウクレレでやったらどうなるんだろうと。最初に鐘の音が鳴るでしょ、あれはカウベルがいいな、と思って(笑)カウベルにしてみた。そしたらすごい牧歌的な感じになって面白かったですね。
――ポールがここのところのライブで「サムシング」をウクレレでやってますよね。
ポールは相当昔からウクレレ使ってますよね。メリー ホプキンの曲でもウクレレを弾いてるし。「ラム オン」が有名ですけど。
そうなんですよ。実は僕、ハワイのウクレレ フェスティバルでジョージとすれ違ってるんです。毎年7月にやるんですけど、そこにジョージが来てた。僕もその年に行ってたのに気がつかなくて。ジョージが記事になってる新聞で見て知った。「マウイにある別荘の敷地を横切って地元の人が貝を獲りに行くのを辞めさせてほしい」ってジョージが訴えたら(笑)、裁判所みたいなところが「それは昔からやってることだからいい」って回答を出した、って記事が出てた(笑)。それで、あぁジョージがマウイにいるんだ、って。そのときは"なんでウクレレ フェスに来てるの?"って思ったんだけど、後から聞いたら、すごいウクレレに入れ込んでたんだって。西海岸に住んでる友達にジム ビロフってのがいるんですけど、彼も僕と同じようなことをアメリカ本土でやってて、ウクレレの本を作ったりCDを作ったりして普及活動をしてる。そいつのところにジョージがいきなり遊びに来たんですって。話をしたり、ウクレレで「サムシング」を弾いたりしてくれたらしいんですよ。"いいなぁいいなぁ"って言うしかないですよね。彼が出した本にジョージがコメントを寄せているんです。「ウクレレを弾く人、ウクレレに関わる人で、ハッピーでない人には会ったことがない」って。あぁこの人はウクレレのことをわかってるなぁ、と。
――ポールが「サムシング」をちょっとおちゃらけた感じで弾くのはどう思いました?
(笑)いやまぁ、あれはあれでいいのかもしれないですけど。ジョージ本人ので聴きたかったですね。『アンソロジー』のフィルムの中でもジョージはウクレレを持ってるんですよね。あれはカマカっていうウクレレなんですけど、僕も同じのを持ってます。
――関口さんが思うウクレレの魅力とは。
ビートルズに感じたものとは逆になっちゃうのかもしれないですけど、音楽を身近にしてくれる楽器だと思うんですよ。軽くてどこでも持ち歩けるし、敷居が低くて誰でも弾けるようになるし、会話するみたいに音楽ができる。15年くらい普及活動みたいなことをやってるんですけど、急にブームにならないで、いい感じでやる人が増えてますね。
――これからカバーしてみたいビートルズ ナンバーは?
なんでしょうねぇ...もういろんな人がやっちゃってるからなぁ。ジョージのインド音楽をウクレレでやってみたらどうだろう(笑)。思いっきり弦を緩めて。ウクレレには可能性があるんですよ。まだまだ開発されてない楽器だと思うし。そこも面白いですね。
――ロンドンやリバプールに行ったことはありますか?
1回だけあります。プライベートで行ってリバプールの駅に降りたんですけど、キャバンに行ったらいきなり地元の人に"日本人か?"って話しかけられて。"なんとかって男を知ってるか?"って日本人の名前を言うんですけど、そんなこと言われてもわかんないでしょ(笑)。日本は相当狭いと思われてるみたいで。あのあたりも観光地化されちゃってて、そういうのもあって興ざめしちゃって、他のところも廻ろうと思ってたんだけどこの空気を吸って港町の雰囲気を感じるだけでいいか、と。だからどこも行ってない。廻る気が失せちゃって。でもリバプールっていうこの何にもない港町からビートルズが出てきたのか、ってわかっただけで面白かったですね。NYのダコタハウスも行ったけど、本人はもういないから、ただの建物。特に感慨はなかったですね。
――最後に、ビートルズが関口さんに教えてくれたことは何ですか?
いい意味でなんでもありなんだよ、ってことですね。音楽だけじゃなくて、社会にはいろんな枠があるように思えちゃうんだけど、でも実はなんでもありなんだ、っていうことを教えてもらった気がします。もしビートルズがいなかったら、青学に入らなかっただろうし、桑田にも会ってなかっただろうし。今の自分は存在していないと思います。
斎藤誠(ギター)
原 由子(キーボード)