ニールテナント (ヴォーカル ソングライター)
ワードプレス ダイナミックニュース
僕の人生のサウンドトラック
◎僕が最初に買ったアルバム(ザ ビートルズ ホワイトアルバム)
1968年に映画(恋する女たち)の撮影が僕の故郷のニューカッスルであって、僕も数シーンでエキストラをやったんだ。そしたら毎日、3ポンドものギャラがもらえてね。そのおかげで4ポンドの(ザ ビートルズ)2枚組を買うことが出来たんだよ。
あのアルバムの僕の大のお気に入りは、マッカートニーの洗練されたバラードの数々だね。(アイウィル)も(マザーネイチャーズサン)もとにかくゴージャスで、至福のメジャーセブンスコードで満ち溢れているんだ。僕はビートルズのソングブックでギターを覚えたんだよ。そしてそれがきっかけとなって9歳の時に(猫の尻尾を引っ張る少女)というミュージカルを書いたんだ。そういえば、今思うとややフロイト的なタイトルだったね。
◎印象的なライブ (1972年のポールマッカートニーのイギリス、ウィングスツアー)
(ゴーウェスト)が大ヒットした後、僕らはスタジアムバンドみたいになり、しばらくして僕らが疲弊していた頃、クリスロウが僕に言った。(1972年のポールマッカートニーのツアーみたいなことをしないか?)彼は初心に戻るつもりでそう言った。ポールマッカートニーはその時、(演奏させてもらえないか?)と直接電話をかけてバンで大学周りをしたのだった。僕は言った。(僕は嫌だよ。一体どのぐらいの距離、バンに乗らないといけないんだ?)しかし、ポールマッカートニーはそれをした。僕らの業界では彼は当時からまるで神様みたいな存在だったのに。
幸運なことに僕は1972年2月、そのツアーに参加することが出来たんだ。最高だったよ。ビートルズのツアーならきっと彼は肉眼で確認出来なかった筈だが、そのツアーではちょっと走ったら彼に手が届きそうな距離だった。なんてことだ。神様。。。その会場の雰囲気、そしてすべての楽曲を楽しむことが出来た。
その頃から僕は気づき始めていた。彼のソロアルバム、ウィングスのデビューアルバムを聴きながら、僕はただのファンだからこれらのアルバムを聴いてるわけでは無いことを。そのころ既に僕は駆け出しのソングライターだったんだ。つまりポールマッカートニーの楽曲は僕のテキストだった。彼の優れた作曲法、美しいメロディー、彼の積極性、彼の楽曲の肯定的雰囲気、すべてが僕にとっては大きな影響だった。だけどそれは僕だけにとってだけの特別なものじゃない事を僕は指摘しておかねばならない。彼の本質は最高のソングライティング能力にあり、僕みたいなソングライターの子供はそれを学んだものだよ。
80年代にポールマッカートニーに会った事があったんだよ。彼は僕らのほうに近づいてきてこういった。(やあ!いいメロディーを書くじゃないか!)って。後で僕らは興奮して(夢みたいだ!)って言いながら何度も彼の真似したんだ。(やあ!いいメロディを書くじゃないか!)ってね。
後で僕とクリスは顔を見合わせて言ったんだ。(僕らの機械的な音以外はポールマッカートニーのメジャーセブンスの魔法で作られている。)これは真実だよ。僕らは大好きだったんだよ。ビートルズもウィングスも。(ブルーバード)みたいなメジャーセブンス。。。。ポールマッカートニーは僕らにとってはスターであり、先生でもあった。
オブザーバー 2009
◎なにが良くてUKに住んでるの?
育った所だしね。僕は自身をイギリス人だと思うけど、僕をニールと呼ぶのはアイリッシュの母方の親戚で、テナントって呼ぶのはエディンバラから越してきた父方の親戚なんだ。というわけで相当なケルト人といえるかも。
まずUKの歴史が好きなんだ。ユーモアやポップカルチャーのね。世界中のどこを探したって、こんなにポップミュージックが好きな大衆を持つ国はないだろうね。みんな、びっくりするくらいポップチャートを気にしているよね。トップオブザポップスが見れないというだけでイライラするんだ。フランスやドイツでは考えられないよ。思うにレノン=マッカートニーやローリングストーンズのせいで、僕らにはポップミュージックを好むDNAがあるんだよ。ミュージシャンなら尚更だよね。でもアメリカではそんな事は思わないだろう?
イギリスに住んで悪しき面と言えば、タブロイドだのメディアだのセレブだのとちょっと息苦しく感じるね。でも、どうしても戻って来ちゃうんだよね。新譜のラストの曲、(Legacy)を聴いてみて。あれはイギリスの、特に北部について歌った曲なんだ。僕は1992年にニューカッスルを去り、1997年には何故か北部に家を購入していた。南部訛りになっちゃいそうだと思ったんだよね。
◎最も偉大なイギリス人て誰だと思う?
20世紀に、僕らの考えを根本から変えたというと、アップルコンピュータをデザインしたジョナサンアイブだよね。彼はイギリス人だ。それから、ビートルズは世界を変えたし、ローリングストーンズ、デヴィッドボウイもそうさ。ビートルズのインパクトたるやおおよそウィンストンチャーチルの及ぶところではないよ。
それ以前に、聖書を訳した連中なんかはシェイクスピアどころじゃない音楽的言語を創りだした、という点で、我々に音楽的国家を生み出させた、と言えるかも知れないよ。あと、ギルバートとサリバンだね。現代音楽の殆どはギルバートとサリバンから生まれたものと云える。素晴らしい韻とリズムの強調は、まさに今日のラップミュージックの源とも言えるんじゃないかな。
クリスロウ(ソングライター キーボード)
デザートアイランドディスク
◎あなたの二枚目のレコードは?
僕の二枚目のレコードは僕にとって最初のポップレコードとでも言えるようなものだった。本当に本当に僕はそのレコードにポップファンになるように強要されたんだよ。
つまり、その時、そのレコードはあまりにも有名で、それは童謡みたいだった。その頃にもし君が居たとしたら、子供たちがそれを通りで歌っているのを見ることが出来たと思う。その曲は(シーラブズユー)だった。ビートルズのね。
◎ビートルズの1963年の(シーラブズユー)ですか。貴方はかつてラジオで彼らを聞いたと言及していますよね。同様にテレビでも見ましたか?
うん。僕が覚えてるのは、僕は両親から起きていることをゆるされていて、彼らを(ロンドンパラディアムの土曜の夜)で見たんだ。君はテレビからでもロンドンパラディアムの通りの外からの叫び声を聞く事が出来たはずだよ。そこはビートルズファンで包囲されてたんだ。その日がビートルマニアが始まった日だった。それはテレビのライブからだった。
2012 エレクトリックビート
僕らはその時なめらかさと優雅さが欲しかった。だからロスアンゼルスに行った。知っての通り、アメリカには素晴らしいプロッフェッショナリズムがあるんだよね。一方、イギリスには偉大なアイディアがある。それはつまりスタイルの話だよ。アメリカにはバーブラストライサンドやアレサフランクリンの様なプロフェッショナリズムがあって、イギリスにはデヴィッドボウイやミックジャガー、そしてビートルズがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=p3j2NYZ8FKs
https://www.youtube.com/watch?v=ik2YF05iX2w
https://www.youtube.com/watch?v=QHaA1beOwrY
https://www.youtube.com/watch?v=-VCqAjYO3NM
https://www.youtube.com/watch?v=LNBjMRvOB5M
https://www.youtube.com/watch?v=wTkfK2g4pKI
https://www.youtube.com/watch?v=DnvFOaBoieE
https://www.youtube.com/watch?v=rLV52d7J8rA
https://www.youtube.com/watch?v=cpk8ym8iqWU
https://www.youtube.com/watch?v=9r0pISqCDRw
https://www.youtube.com/watch?v=2Hy4bT0ESfc